2010年5月31日月曜日

Perfume10周年東京ドームライブ決定! そこで一体、何が起きるだろうか。

いまや国民的人気アーティストとなったPerfume。

本日、10周年ドームライブが決定しましたね。他のアーティストの「10周年」とは随分毛色が違うこの「10周年」。メジャーブレイクしたのはほんの数年前のはずなのに、デビュー10周年。彼女たちの下積み期間については、あらゆるメディアで既に取り上げられていることだから改めて語ることはないと思います。が、もしも以下の動画をご覧になったことがない、という方がいれば是非ご覧になっていただきたいです。



いまさらながらではありますが、Perfumeのアーティストとしての魅力を考えてみたいと思います。僕はたったふたつの言葉にざっくり集約されると考えています。「表現」と「物語」というふたつの言葉です。まあ、いまさらながらのPerfume論ですし、いままで語られてきた多くのPerfume論の言い直しにしか過ぎず、しかも一枚の記事にまとめられるようなことではないのでまとまっていないと思いますが……。

Perfumeの三人は表現者とアイドルという相反するかのような存在のどちらでもあることを課された存在だ、と僕は考えています。

アイドルというのはつくられた偶像です。かつてのアイドルたちと同じように、Perfumeもアイドルです。人形が指定された服を着せられるように、あらゆる表現手段を周囲の大人達から指示されます。そこに自分たちの自由はありません。「この曲を、こんな振付で、こんな衣装で、こんなPVで」。従来のアイドルであれば、そこに表現手段がまだ残されていました。それは歌声です。しかし、Perfumeにはそれすらも許されませんでした。歌声の自由は剥ぎ取られ、Perfumeは完全にお人形としてのアイドルであることを命じられました。

一方で、中田ヤスタカや関和亮というアーティストたちと組むことで、Perfumeは表現者であることも求められました。当然のように聞こえてくるわけです。中田ヤスタカによって加工された声に対する「あんなのだったら、誰でもいいじゃん」という声が。そこで三人でなければならない、なにかを表現する必要がありました。従来のアイドルであれば、歌声を表現者としてのアイデンティティにすることができました。Perfumeにはそれが許されませんでした。しかも従来型のアイドルよりも強くアーティスト性を求められる立場となってしまったのです。袋小路のように思えますが、そこにはちゃんとPerfumeの表現手段が残されていました。それがダンスという表現でした。

長い長い下積みの中、アクターズスクールで過酷な試練を積んできた3人にとって、ダンスは数少ない武器の一つでした。MIKIKOの指導によるダンスはとてもアイドルのものとは思えない難解な振付けです。三人はインタビューの中でこのように答えています。「難しい振付を、簡単そうに見えるように踊っている」と。

確かにPerfumeの振付は、一見なんとなく覚えやすそうな印象をおこさせます。歌詞とリンクした振付はそれぞれ特徴的で頭に残りますし、曲調はポリリズムに代表されるように繰り返しを多用するものが多いので、おなじように身体を動かせるような錯覚を一瞬感じさせられるのです。しかし実際は、Perfumeの振付ほど難しいアイドル曲を僕は知りません。なかには多少やさしめの曲もありますが、ほとんどの振付はとても一朝一夕に覚えられるものではないのです。

ただダンスだけでは、Perfumeの表現は完成しません。ダンスだけでは足りない。Perfumeが選んだのは、お客さんとのコミュニケーションです。Perfumeがブレイクしかけのころ、耳のはやいリスナーたちのあいだでは、このようなクチコミが流れていました。「Perfumeのライブが、異常に盛り上がるらしい」。定番の挨拶から、三人で仲良くしゃべるMC、気軽な広島弁に、お客さんとの自然なやりとり、歌っている最中にも三人はファンにあらゆるかたちでシグナルを送り続けます。アイドルファンたちにはそれに呼応する下地があり、またクラブファン層にはそれが新鮮な体験であり、またたく間にそのライブの完成度は多くのリスナーが知るところとなりました。

デビュー後ブレイクし、リリースが相次ぎ、あ~ちゃんはインタビューに対してたびたびこのように漏らしています。「ライブがやりたい」「レコーディングは楽しくない」と。CDやTV出演というかたちでビジネスが成立するようになってしまったことで、Perfumeは再び武器を失います。マルチアングルのカメラによってダンスはきりとられ、ライブMCのないシングルやアルバムといったかたちで曲が届けられるようになってしまったのです。せっかく手に入れた表現手段が制限され、しかも、お客さんはカメラや雑誌の向こうがわ。何万枚というヒットの数字だけをきかされ、急にライブの現場からひきはなされてしまった三人は、不安に陥りました。自分たち3人のものであったはずのPerfumeが急に誰かの物になってしまったような感覚。特に自分でメンバーを選び、活動を率いてきたあ~ちゃん、いや、西脇綾香にとってその苦痛は耐え難いものであったようです。

ブレイク後のインタビューでは、自分たちの音楽を支えてくれる中田ヤスタカやその他の周囲の「おとなたち」たちに対し、「ありがたい」と語りつつ、その口調には徐々に皮肉が込められるようになりました。その最たるものが、Rockin'on JAPAN 09年 7月号のインタビューです。

あ~ちゃん:シングルのリリースって、すごい辛いときがあって。これって何でリリースしてんだっけ?みたいな。ライブが無いと忘れちゃうんですよ。シングルは誰が聴いてくれてるんだ?とか。Perfumeがあり続けるために出してるみたいな。
ーーー(中略)ーーー
 あ~ちゃん:そればっかりになっていくのは怖いけど。ほんとに素材としてしか考えられていないっていうのは。

このインタビューをめぐっては、多くのリスナーの間で激論が交わされました。もっと過激なことも言っているので、これは是非全部読んでいただきたいです。


Perfumeの表現については、これ以上偉そうなことを語ると、古参のファンのかたがたにのされそうなので、この辺にしておきます。今、Perfumeがどんな表現をしているのか。どこにむかっているのか。そのあたりはブログ「Aerodynamik ー 航空力学」さんあたりを参照するのがおすすめです。

もうひとつのPerfumeの要素といえるのが「物語」です。かつてのアイドルは、すべて「物語」がマスメディアによってプロデュースされたものでした。しかし、ここに今までのアイドルとの大きな違いがありました。

その物語は、インターネットという媒体によって、ループの構造になっていました。アーティストサイドから語られた物語がファンサイドから再び語りなおされ、さらにそれをアーティストサイドが語れば、さらにファンサイドからもそれが再び語りなおされ、ようやくそのループのなかにようやく本当の物語が現れるという構造になっていました。先程のYoutube動画もそのほんの一例です。

ポリリズムの歌詞はその意味で非常に象徴的です。

とても大事な キミの思いは
無駄にならない 世界は廻る
ほんの少しの 僕の気持ちも
めぐりめぐるよ

さて、Perfumeは、アイドルとしてもアーティストとしても頂点にのぼり詰めたことで、いったん「シンデレラストーリー」を消化しきったということが出来ると思います。すでに「GAME」でオリコンチャート1位を獲得したあたりから、その「消化しきった」感はファンの間に漂っていましたが、「ライブ」という別目標をファンの前に明らかにすることで、Perfumeはどうにかそのストーリーを保ち続けていました。しかし、それもこれまでです。山がなければ、これ以上登ることは出来ません。王子様と結婚したら、シンデレラストーリーは終了です。そこから新たな物語が語られることはないのです。

ただ、僕は正直なところ、これからPerfumeは何か大きな変化を起こすだろのではないか、と予測しています。

Perfumeは、もともとSPEEDという存在をモデルにして西脇綾香がつくりあげたグループです。SPEEDはその全盛期に解散を発表しました。SPEEDはメンバーにそれぞれ独立願望があったのに対し、Perfumeは「三人」にこだわるユニットなので、同じ道を辿るとは考えていませんが、何かしら予感のようなものを感じます。

これまでどおり、中田ヤスタカをはじめとするプロデュース陣と同じ制作体制を続けていくのでしょうか。果たして、これからも「同じ変化」を続けるPerfumeなのでしょうか。

同じでも構わないけれど、同じでも僕はPerfumeが好きですけれど――

でも、メジャーブレイクのあのときのような、急激で、激しい変化への興奮をまた味わいたいと考えているファンも、少なからずいるのではないか、と僕は感じています。

2010年5月30日日曜日

LGBTが働きやすい会社を増やしたい。

実は僕、企業の採用活動コンサル会社からお仕事(まあバイトみたいなものです)を請けることになってまして、今日のお昼までそのミーティングでした。どんなことをしているかというと、LGBTが働きやすい会社の制度導入や採用活動を提案していこう、という試みです。
具体的に言うと、同性パートナー間で公正証書をつくったときや結婚式などのときにも結婚祝い金を出しますよ、とか、LGBT向けのプライドパレードなどの協賛によってLGBTフレンドリーな会社の姿勢をアピールしていこう、といったようなかたちで、企業が優秀なLGBTの学生を採用できるようにする、そういう採用のしくみやPR手法などについてのお仕事をしています。企業に向けてセクシャルマイノリティがどのような存在であるかということを解説する採用担当者向けの勉強会のようなものなども考えています。ちなみにその結果僕はそこに採用されるかもしれません。うむむ。
このブログでも既にとりあげていますが、LGBTにはインターネットに強いひとなどが非常に多い、というのが僕の自説です。また、人によっては人生における困難な状況をクリアしてきた人も多くいると言うことで、人間が出来ている、というような人も多くいると感じています。
今日は九州にある某ファッションブランドの担当者の方と、LGBT向けの採用プログラムについてテレビ会議のようなかたちでディスカッションをしたのですが、非常に意欲的で、再来年度あたりからの導入が決定しそうです。
テクノロジーとビジネスというちからで、セクシャルマイノリティや、HIV陽性者のひとたちなどの生きる環境を楽しく変えていきたい。などということを考えている僕なのですが、今日はまた一歩踏み出せたような気がします。

追記:僕は日本の会社でゲイやレズビアンが働きにくい、なんてことを強くは思っていなかったりする。仕事というのは、ゲイだろうがなんだろうがちゃんと業績を上げればいいのであって、ノンケもゲイも同じように評価してくれる会社がほとんどだと僕は思います。でも、ビジネスとしてゲイフレンドリーな会社が増えるといいなと思ってるのです。ゲイに友好的であることが企業のプラスになる、という空気が出来てくるといいなと思っています。

2010年5月28日金曜日

人格障害(Personality Disorder)は本当に病なのだろうか?

先日教えてもらったとあるSF小説が思い出せません。タイトルも著者も思い出せないのです。もやもやとしています。日本語には訳されていないのだそうです。あまりにも問題作過ぎて、どこの出版社でも翻訳に踏み出せていないんだとか。内容を聞くと、確かに出版するだけでバッシングを受けそうな内容です。

舞台はとある架空の宇宙。その宇宙には、それぞれ異なる種類の"星人たち"が住んでいるのですが、それぞれの星にすむ"星人たち"にはそれぞれ特徴があります。うつ病星の人たちはうつ病患者。統合失調症星の人たちは統合失調症患者。それぞれ精神疾患を抱えた人たちがそれぞれの星に住んでいるのです。ところでそれぞれの星において、それぞれの「病気」は「病気」なんでしょうか。

まあ、記憶はあやふやですが、確かそんな内容です。ご存じの方は、タイトルを教えてください。まあ、その本を教えてくれた人にはまたどうせすぐに会うので、もう一度聞けばいいだけの話なのですが。

ところで「病気」って一体なんなのでしょうね。

その本を紹介されたときに、京都の大病院などで母親が娘3人の点滴に水道水などを混入した、つい最近起きた事件の話が出ました。僕はテレビでもネットのニュースでも犯罪や事件を扱うニュースをあまり見ません。なので教えてもらうまで、この事件のことを知りませんでした。裁判員裁判ということもくわえて話題性もあるようですし、もしかしたらテレビのワイドショーなどで大きく報道されていて、広く知られている事件なのでしょうか。

その事件では、岐阜県の主婦が傷害致死と傷害の罪に問われました。彼女は「代理ミュンヒハウゼン症候群」と診断されていたのですが、この「代理ミュンヒハウゼン症候群」を精神疾患としてどのように扱うかが問題で、彼女の刑事責任能力が裁判の争点だったようです。懲役10年が求刑されたとのこと。

代理ミュンヒハウゼン症候群は、WHOの国際疾病分類においては「成人の人格および行動の障害の病気」と分類されるようです。つまり、いわゆる人格障害。最近はパーソナリティー障害(※1)と呼ぶほうが好ましいと言われたりもしているようです。

※1)ちなみにこのパーソナリティー障害/人格障害、元の語は "Personality Disorder" なので、実は直球で訳せば要は「性格がおかしい」ですよね……と友人がツッコんでいました。言われてみれば確かに。

僕はこういった精神的な病について詳しく理解していません。この問題について理解するのは、僕にはあまりに難しすぎるというのが率直な感想です。理解することを放棄するつもりはありませんが、いますぐに理解しなければならないとは感じていません。

僕はこういった精神的な病について漠然と考えています。たぶん「名付け」や「分類」、そして「扱いかた」におそらく絶対的な基準というものが設けられる日はおそらくこないのだろうなあと。たぶん、その問題に関わる人たちが、問題にぶち当たるたびに議論をかわして決定していくしかないのではないだろうかと感じています。

パーソナリティー障害って、要は「不運」「めぐりあわせの悪さ」の問題なんじゃないか、と僕は思うのです。たまたま生まれたその社会において「その人格はおかしい」「お前病気だ」といわれているだけに過ぎない、と思うのです。

そこで先ほどのSF小説の話に戻りますが、その病を抱えた人たちが集まる星/社会があったとして、そこでその病は果たして病なのでしょうか。そういう星でなかったとしても、その人格を「別におかしくない」と受け入れることができる社会・人間関係の中に住むことができたとすれば、そこではその人格は「障害」ではないのです。

パーソナリティー障害、それはその人にとってぴったりの社会に生まれられなかった、そんな社会に住むことが出来なかった、一種の「不運」、一種の「不幸」なのだと思うのです。

言っておきますが、僕はその代理ミュンヒハウゼン症候群の被疑者をかばいだてしているわけではないです。人に危害が加えられるのは、阻止されてしかるべきだと思います。罪を問われるのは、ごく当たり前のことであろうと思います。

先日観てきた劇団ハイバイの「ヒッキー・カンクーン・トルネードの旅」では「ひきこもり」を題材に、そのあたりの「人格と人間関係について」をうまくとりあげていました。ストーリーもすごくよかったし、役者さんの演技もものすごくうまくて、とにかくこれはめちゃくちゃ面白かったので、おすすめです。

iPadの感想と、タブレットマシンが同性愛者たちのライフスタイルを変えるかもしれない3つの理由。

iPadちょっとだけですが触りました。

いろいろと思うところがあったので、再度ブログを更新します。今日3回目……。

まず、iPadをはじめとするタブレットマシンが同性愛者のライフスタイルを変えるかもしれない3つの理由。
  1. PC向けのウェブを閲覧するのに適しているから。今までケータイやiPhoneの小さな画面を利用していたユーザがタブレットマシンを使う。つまり、小さな画面では十分に見ることが出来なかった同性愛にまつわる豊富な情報に、いままでより多くの同性愛者がアクセスしやすくなる。
  2. モバイルインターネットであるから。家族と共有であるリビングのデスクトップPCでは、家族の目を気にして同性愛の情報を求めることが出来なかったユーザーが、気兼ねなく同性愛の情報にアクセスすることが可能になる。
  3. 電子書籍との親和性が高いから。ゲイ向けの雑誌や書籍は、今まで書店での購入がためらわれたり、家での置き場所に困ったりするといった理由で売上が思うように伸びてこなかった。電子書籍ならばその垣根を超える可能性が十分に考えられる。
いかがでしょうか?

さて、そんなiPadですが、さっそく上司が買ってきたiPadを触らせてもらえました! やったね!!



感想。これケースはかなり必要! iPhoneはまだ平気そうだけど、iPadは落としたら壊れそう! ちょう壊れそう!

それから重い重いっていう前評判のわりには、まあ確かに重みはあるんだけど、全然嫌味のない重さって感じでした。これでいろんなコンテンツを読む/観るっていうのはすごく想像しやすい。飲みの席とかで、さっとYoutubeの動画とか見られそうだし、電車の中で座ってメールチェックしたりブログよんだり電子書籍読んだりとかもできそう。

iPad発売! 同性愛者たちに愛されるAppleという無二のブランド。

さて、本日はiPadが日本で発売される日ですね。

Appleと敵対するGoogleを愛してやまない僕ですが、決してAppleが嫌いなわけじゃありません。ええ、Appleは素晴らしい会社ですよ! なんていうと、普段さんざんAppleに悪態をついているGoogle信者な僕を知っている周囲の友人たちは、あまりの白々しさに鼻白んでしまいそうな気がするのですが……。あのう、あれですよ、嫌よ嫌よも好きのうちというやつでして……。

いや、本当にAppleは素晴らしい会社だと思います。だって、Appleといえば、実はとってもゲイフレンドリーな会社だってこと、ご存知でした?

2008年にPlanet Out社およびPrime Access社が共同で行ったゲイとレズビアンに関する調査結果でそれが明らかになっています。それによれば、最も同性愛者にフレンドリーだとされるブランドはダントツにBravoです。そしてAppleはそれに続いてなんと第2位! ハイテク企業としてはゲイフレンドリーな企業として首位であります。


ちなみに、この虹色のロゴは、セクシャルマイノリティの象徴としてのレインボーフラッグが成立する前から存在したものです。なのでそもそもはレインボーフラッグ由来というわけではないのですが、ゲイフレンドリーなApple社はセクシャルマイノリティ向けのアピールとしてこのレインボーなアイコンを利用しているようです。

先日、ソフトバンクのゲイフレンドリーさを記事にしましたが、Apple社との交渉がうまくいった背景には、ソフトバンクがセクシャルマイノリティを支援する活動を続けてきたといったようなこともプラスに働いたのかもしれません。

ちなみに、Appleの愛好者がゲイコミュニティのなかに多いことは、ゲイコミュニティのなかにいれば、実は結構明らかにわかるものです。

僕はデスクトップが置いてあるゲイバーを何件か知っているのですが、なんとそのすべてがMacです。ちなみに、僕が普段参加している、MSMのHIVに取りくんでいる団体の活動拠点で用いられているコンピュータもMacです。

さらに、二丁目のゲイバーにいけば、お客さんのほとんどがiPhoneをいじっている、なんてことは実はザラにあります。連絡先の交換などをするときに、その普及率を強く感じます。大学などでは赤外線が使えないiPhoneのほうが肩身の狭い思いをしていたりするのに、ゲイコミュニティではそれが逆だったりするんです。Bump(連絡先の交換に用いるapp)でみんな交換していて、ガラケーユーザの肩身が狭いという……。

ゲイ向けのアプリケーションも充実しています。

最も普及しているゲイ向けアプリケーション「Grindr」は驚くべき普及率を誇っています。これはゲイ向けだけにしておくには勿体無いほどよくできたアプリです。

また、つい先日リリースされた新しいゲイ向けアプリケーション「G2」は、たった2ヶ月でなんと1万ダウンロードを突破しました。

ちなみに「G2」はゲイが2人で安心して生きていける社会、経済基盤を築けるようにという思いのもとに設計されたアプリケーションです。このアプリケーションについてはまた後日、このブログでも話題に出来ればと思っています。Android対応も是非お願いしたいところ。

また、twitterのゲイアカウントを集めたタイムラインをみていても、iPadに対するゲイのユーザーたちの関心が高いことが分かります。

僕のとあるゲイの友人(思いっきりApple信者)も、iPadを「愛パッド」と呼び、iPadを待ちわびるあまり「あぉぉおおおん!」などとワケの分からない雄叫びをタイムラインで叫んでいます。まあこれは多分ただのあたまがおかしい信者のtweetなので参考にならないと思いますが……。

さて、みなさんはiPadを購入しますか?

読書会の課題書籍は「月の影 影の海」の上下巻です。

昔からファンタジー小説がすごく好きで、今でもそれは変わりません。ただ少し思うのは、昔ファンタジー小説が好きだった僕と、今ファンタジー小説が好きな僕とでは、好きな理由がちょっと違うな、ということです。

端的にいって、かつて僕が抱えていたファンタジー小説への思いというのは「現実逃避」によるところがすごく大きかったと思います。

特に僕はファンタジー小説のなかでも、現実世界と地続きに異世界が存在するストーリーが大好きでした。それはなぜかと言うと、自分がその異世界に行けるかもしれないという妄想を信じることができたからだと思います。

今でもそういう小説は好きです。今の僕は現実をちゃんと楽しく過ごせているけれど、「逃避」じゃなくて、「旅行」のつもりでファンタジー小説を読むのはとても楽しいです。

僕はいま月イチで行われている、とある「読書部」に参加しています。来月の担当は僕なので、そういったファンタジー小説の中でも抜群に僕のバイブルだった書籍を来月の「課題図書」に選定しました。

読書会のメンバーと一緒に「旅行」できるのが今からとても楽しみです。

小野 不由美
講談社
発売日:2000-01-14

小野 不由美
講談社
発売日:2000-01-14

この作品について語るのは、読書会の会場でということでこれ以上ブログに書くのはやめておきます。ですが、この小野不由美の「十二国記」シリーズは、思春期の僕を大いにたすけてくれた書籍であると言うことは間違いありません。多くの人に読んで欲しい書籍です。とてもおすすめです。

ちなみに読書会の書籍を選ぶにあたっては非常に悩みました。僕の中での候補作としては平野啓一郎の「ドーン」や辻村深月の「ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)」がありましたが、それはまたいつか読書会でお鉢がまわってきたときにでも考えたいです。

読書会では人物関係図やストーリーラインなどをおおまかにまとめたレジュメを用意するつもりです。頑張らなきゃ。会場でアニメ版の映像や音楽を流すのもありですね。

以下はアニメ版十二国記のオープニング。

2010年5月25日火曜日

強いパスがくると、思わず避けたりしてました。もちろん怒られました。

小学5年生のころ、バスケットボールをはじめました。スラムダンクの世代です。全巻読んで、最終巻では号泣しました。左手はそえるだけ。あとは、ちょっとマイナーかもしれないんですが、ハーレムビートなんていうバスケ漫画も好きでした。僕、澤村とおんなじ名前なんです。字は違うんだけど。ストリートバスケ、あこがれましたね。東京にきて、裏路地とか探したんですけど、ストリートバスケも、賭けバスケもみつけられずにいます。東京にきたら、あると思ってたんですけどねえ。

やってたときは、バスケットボールがそんなに好きだったかというと、正直疑問です。いや、あれは、たぶん嫌いでしたね。嫌いだったのに、なぜかやってたんです。しかも、小学校卒業して、そこでやめたってよかったのに、中学校に入って、またバスケ部にはいりました。なんでなんですかね。そもそもバスケ部に入るまえの僕は、体育の授業でバスケをするのも嫌だったんです。なんでって、それまでドリブルが出来なかったからです。あれ、難しいですよね。今やれって言われたら、正直できない気がします。

で、まあ、想像にかたくないと思うんですが、僕の運動能力は壊滅的です。ぜんぜん動けません。なので、だいたいは応援席にいました。いちおう顧問の先生のお情けとかでたまに試合に出たりはするんですが、特に活躍できずに、いつも怒られてばかりでした。下級生からも追い抜かれてしまって、たぶんグズな上級生だなって思われていたと思います。のろのろ走って、へばって。そこそこ図体だけはがっしりしてたので、ポジションはセンター。体そこそこでかいんだから、リバウンドだけは頑張ってとろう、なんて考えてて、自分なりに頑張ってたんだけど、チームに貢献できてたかっていうと、うーん、出来てませんでしたね。

ただ、今おもいおこすと、そんなんでもバスケは僕の青春でした。だから今でも、バスケットボールを見ると懐かしいです。あのバスケットボールのゴムっぽい匂いや触り心地、バッシュが床をキュッキュッとこする音、きつくって仕方なかった練習。早起きして朝練とかもして。ちょっと遠いところまでバスで遠征なんかもして。応援のコールのしかたとかも、なんとなくだけど、覚えてます。いろんな替え歌みたいなの使って、応援するんです。上級生にはもっと声出せ! って怒られたりしたんですけど、正直、この替え歌応援って意味あんのかなあ……なんて心の中では思ってました。

僕がバスケを始めたのをきっかけに、弟もバスケをはじめました。結局やめてしまった僕とは対照的に、本当にバスケが好きになった弟はいまでもバスケをしています。高校でもバスケ部にはいって、卒業してからも、まだバスケをたまにしているみたいです。なんていうか、もし僕がバスケをしたことで、残せたことといったら、もしかしたらこの弟のバスケ好きかもしれません。まあ、僕がやってなくても、弟はバスケをしたかもしれませんけれど。

やってた当時は確かになんだか、やっぱりそんなに好きじゃなかったのかもしれないんですが、今思うと、不思議ですね。いまちょっと、バスケ、実は好きかもしれません。好きだからといって、またバスケをはじめたり、バスケ番組をテレビでチェックしたり、なんてことをするほどではないんですが、たとえば靴屋でバッシュをみたりすると、ちょっとテンションがあがります。他のスポーツグッズなんて全然わからないけれど、バッシュだけはちょっと、わかるんです。

2010年5月23日日曜日

グリーンカレー食べておけばよかったなあ。

ほんの数ヶ月前くらいまでは公認会計士になろうかなあとか言っていて、その前はプログラマだったかな……。やりたいこととかつきたい職業がちょくちょく変わる僕の意志なんて、まあ、受け流す程度に聞いてくれれば構わないんですが、そんな僕が妄想している最近の夢は、食堂をひらくことだったりします。

ただ、実際、僕の料理の腕なんてたかがしれているどころか人並み以下だし、食堂をひらくとなったらそれなりに自己資金は必要になっちゃうわけだし、飲食店の経営なんてそんな生易しいもんじゃないし、ネガティブに考えればいろんな阻害要因は次々と出てくるわけで、まあ、だからただの妄想です。

で、なんでそんな妄想をするようになったかという話をします。僕、食事って、その料理の味とかだけじゃなくて、考え方とか情報とかイメージとかがすごく大事なファクターをしめているよな、って最近よく考えているんです。

たとえば。ただ「麻婆豆腐」って出されたのと、「お豆腐屋さんのこだわり麻婆豆腐」って出されたのとでは、たとえ中身が一緒のものだとしても、食べる側としてはきっと後者のほうが食べていて楽しいし、美味しく感じるものだとおもうんです。使われているひき肉がどこでどんな風につくられたかとか、どこがあじわいどころだったりするとか、そういう情報があると、食事はきっと楽しくなるんです。その豆腐の光沢だったりとか、舌触りだったりとかを、つややかに光るとか、なめらかな舌触りで、とか表現されて料理を出されるだけで、ぐっとその料理はおいしくなる、と思うんです。それはつきつめると、料理の味に直接関係のない話でもいいんです。たとえば麻婆豆腐にまつわる短いものがたりだったりとか、思い出だったりとか、出会いだったりとか。

インターネットの発達で、いろんな人が自分でコンテンツをつくるようになりました。面白い動画や、ぐっとくる音楽が、無料でたくさん手にはいるようになりました。文章も写真もイラストも、すごくいいものが無料でインターネットにたくさん公開されています。デジタルに還元出来るものは、こうやってどんどん無料の圧力をうけるようになります。無形の情報だけでお金をとろうということが、難しい時代になってきました。この流れ、僕はどんどん加速するだろうなと思っています。けれど、よい情報はとても価値があるものだと僕は思います。価値が認められても、価格がつかない。

価格のかわりにくいものはなんでしょうか。それは、かたちがあるものです。たとえば、木材とか、金属とか、石油とか、……食べ物もそうです。たしかに工業化の影響で大量生産が可能になれば、ものの値段はさがります。けれど、そこにはかならず限度というものがあります。物理的な生産コストがかならずかかるからです。だから、無料の圧力を受けることはありません。問題は、供給の過剰がもたらす競争の激化です。価格はつくのだけれど、価値が認められにくい。

このあたりの話のもっと詳しいことは『FREE』を読めば、おそらく分かるだろうと思います。

クリス・アンダーソン
日本放送出版協会
発売日:2009-11-21

そこで思ったのはこういうことです。「価値が認められるけれど価格がつかない」情報と「価格はつくけれど価値が認められにくい」"かたちあるもの"との相性はとてもいいんじゃないかということです。

クリス・アンダーソンは「FREE」のなかで情報のことを「ビット」、"かたちあるもの"のことを「アトム」と表現しています。アトムとは、生産コストがゼロにはなりえないものです。生産コストを下回って価格をつけることはできません。ただ、競争率の高さゆえに、価値がなかなか追いついてこない。そこで、価値のあるビットを”FREE”で付加することが商品を成り立たせるのです。これは逆に言うこともできます。無料の圧力がかかったビットを売るには、価格がつけられるアトムを付加するしかないのです。

若干はなしがそれつつあるので、食事の話に戻しますね。

料理店の競争は激化しています。いま日本で食事を食べられる場所を探せば、いや、探さなくても、驚くほど豊富にたくさんのレストランやカフェが存在しています。無料で食事を提供するところは先程の話からもわかるように存在しえません。価格は、どうしたってつくのです。ゆえに、そこで起こっているのは単なる価格競争ではありません。ひとびとはどうやってその数ある飲食店から、行く店を選んでいるのか? そこにおおきく関係しているのが、なにをさしおいても、ビット――つまり無料で提供されている、文章や音楽やイメージなんです。

最近読んだ小川糸さんの「食堂かたつむり」という小説があります。

この小説には本当に美味しそうな食事がやまほど登場します。この小説を読んで僕は、ここに出てくるすべてのごはんが全部たべてみたい!! と心の底からめちゃくちゃ感動しました。お妾さんのためにアイスをつくるシーンがあるんです。主人公の女の子は、そのアイスをつくりながら、ひとのためにアイスをつくることが出来る喜びに胸を詰まらせるんです。その喜びに胸がつまって、呼吸ができなくなって死んでしまいそうなほど幸せだ、っていうその文章を読んでいると、もう無性にそのアイスが食べたくなるのです。どこにいったらあのアイスを食べることが出来るんだろう!!! と頭をかきむしったのを覚えています。

文庫版の「食堂かたつむり」には、「食堂かたつむり」本編の途中で登場するゲイカップルの結婚式のシーンをさらに掘り下げて描いた短編がついています。これは本当にとにかくグッと来るので、ゲイのみなさんは是非買って読んでください。いえ、ゲイでなくても是非読んでください。

ゲイカップルが自分たちのハネムーンだというつもりでの旅行で立ち寄った食堂かたつむり。そこで本編の主人公である女の子は、そのゲイカップルのために「では結婚式のご馳走を」と心をつくしたおもてなしをするのです。

出会いのきっかけにチョコレートが深く関わっているその二人にと、チョコレートが振るまわれます。そして「食堂かたつむり」の人気メニューであり、それを食べると恋や願いがかなうという「ジュテームスープ」や数々の心のこもった料理を食べて二人は感動し「あの子二丁目でお店開いたら絶対人気でるよ!」「もったいないわっ」なんて言いあいます。そこではウエディングケーキまで振舞われます。今までの思い出を振り返りながら、ふたりはいまの自分たちがいかに幸せかということを感じます。イバラの道を嘆くのではなく、この幸せを感じながら生きていこうと。ふたりはお互いにプレゼントをおくり、幸せな夜が明けるとまた、女の子が用意してくれていたおでんを食べるのです。


僕の妄想はまさにこんな物語と組みあわさった食事の体験にもとづくものなのです。

食事というのはただ食べるだけでも勿論すごく幸せになれるものです。けれど、誰かと一緒に食べたり、胸を詰まらせるような思い出とともに食べたり、大好きな音楽やインテリアにかこまれて食べたり、そういう付加価値がその幸福を倍増させてくれるものだと思うのです。

僕はよく外にご飯を食べに行くけれど、ときどきなんて勿体無いんだろう! と思うようなお店に出会うことがあります。それは、料理自体はとてもとても美味しいのに、味だけで勝負してしまっているお店です。もちろん、それはそれで結構なことだとは思います。味で勝負することは、きっととても大事です。

けれど、その美味しい食事をもっともっと食事を幸せにするスパイスをもっと使ってみてもいいんじゃないかと思うことがあるのです。そこでの食事がとても思い出深いものになるような、出会いや、思い出や、音楽や、ストーリーが、日本の多くのレストランやカフェにはなんだか欠けているような気がしてならないのです。そういうものはお客さんたちが自分でつくるんだっていうのも、分からなくはないけれど、でも、そうじゃないお店がもっとあったっていいと思うのです。

僕がよくいくゲイバーでは「男ができるカレー」が振舞われます。伏見憲明さんというゲイの作家さんが毎週水曜日に営業している「エフメゾ」というお店です。カレーのほかにも、時季にあわせておでんやハヤシライスも振舞われます。伏見さんはけっこう遠いところにある自宅から毎週料理を仕込み、そのお店に通っています。あれだけの量の料理を毎週つくって運んでくるのはきっと重いだろうなあ、なんてことを思います。値段も普通のカレーショップなんかよりも全然安くて、でもすごく美味しいんです。辛さはさほど強くなくて、スパイシーでもなくて、けれど甘いわけではなくて、材料の旨みが出ているいわゆる「おうちカレー」のタイプの味。きのこが入っていてそれも僕的にはかなりポイント高いです。僕は毎週そこで食事をするのを本当に楽しみにしています。

僕は実際に、その「男ができるカレー」を食べて、そのママに勧められたお店に行ってみて、そこではじめての彼氏ができました。そこで童貞まで卒業してしまいました。そこで僕はいままでいろんな友人と出会い、ときに恋をして、毎週とても楽しい時間をそこで過ごしています。

いま日本でたくさんのひとが年に三万人以上も自殺をしていて、不幸を感じているひとがすごくたくさんいます。なんかこんな大きな問題にからめてを語るのもなんなんですが、そういうたくさんの不幸を和らげるには、もっともっと世の中に楽しまれる食事がふえるということがきっと大事なんじゃないかとおもうのです。毎日三食あるんですよ。そのなかで一食、たとえば朝ごはんを今よりちょっと美味しく食べられるようになるだけで、毎日一度、すこしずつ何かが変わっていくと思います。

それは全然立派な食事とかじゃなくていいんです。お金なんてかかってなくてもいいんです。豪勢な食事とかプロの料理人が丹精込めてつくりあげた一品とかじゃないんです。誰かと一緒にものを食べる、ひとがつくったものを食べる、そのことをもっと大切にした食事がふえたらいいなと僕は思っています。

途中なんかいろいろと話しがそれてまとまっていないんですけど……。要はそれで、食堂かたつむりの女の子がつくるウェディングケーキや、伏見さんがつくるカレーのようなそんな食事を提供できる、そんな食堂がもしいつか開けたらいいなあ、そんな商売ができたらきっとうまいくいくんじゃないかなあ、なんてことを、最近は妄想したりしているのです。

ちなみに、僕は料理を食べることは得意なんですが、正直あんまり料理が得意でないので、料理のうまい旦那さんが欲しいところですね……。

そういえば、以前つきあいかけた彼が、グリーンカレーをつくるのがすごくうまいらしくて、一度ご馳走してくれるっていう話だったんですが結局一度も食べないうちに別れちゃって、なんかもったいなかったかもなあ、なんてことをふと思い出しました。

2010年5月22日土曜日

通学電車へのあこがれ。

通学電車へのあこがれがありました。たぶん、高校生のときに芽生えたものです。

思い出せるのは、みぞれのような雪がふぶいていた日のことです。自転車通学をしていた僕たちにとって、雪と風は大敵でした。通学路の田舎道は、見渡す限りに吹き抜けています。何も遮るものがないので、冷たい風がびゅんびゅん荒れるのです。雪で濡れた手袋は、はめていてもはめていなくても冷たくて、濡れた手は赤くしもやけてしまいます。息を吐いて手を温めようとしても、一瞬冷たさがやわらぐだけ。女の子たちはさらに過酷でした。ミニスカートからしゅっと伸びた素足は、いっしんにペダルを漕いでいました。氷の棒のように冷え切っているのが、ひとめで分かる白さです。

ようやく学校につくと、多くの生徒が遅刻している様子でした。席についてしばらくすると、遠方から電車で通っている生徒たちが、大幅に遅刻するのだと先生が告げました。雪と風の影響を受けて、電車がとまってしまったとのこと。

ふうん、大変だなあ……大丈夫かなあ。そのときはただそう思っただけでした。

しばらくして、電車組の生徒たちがゾロゾロと登校してきました。止まった電車の中で何をしていたのか聞きました。友達は答えました。ずっと本読んでたから、別に気にならなかったよ。

僕の通学電車へのあこがれをつくったきっかけは、たぶんこの時の記憶だったのだと思います。そうだ。電車の中では本が読める。通学時間を使って本が読める。それも寒くない。かじかむ手でサドルを握ることもなければ、凍ったような足でペダルを踏むこともないじゃないか。なんだか不公平な気分を味わいながら、僕はそう考えていました。

「いいなあ、僕も、電車通学だったら良かったのに」

小、中、高と電車通学とは無縁でした。電車にまともにのったこともなければ、きっぷの買い方すら危うい子どもでした。大学受験のために上京をしてきて、受験会場までの電車ですごく戸惑ったのを覚えています。なにごともなかったようにテストを受けたけれど、あのとき乗り換えに気づいていなければ、あの大学には受かっていなかったかもしれません。そんなヒヤヒヤするエピソードがあるくらいです。

そんな僕は大学進学で上京して、自分の住むアパートを探すとき、電車に乗れることを条件に選びました。電車で学校まで45分。なぜそんなところに住むことにしたのか……そこにはこんなワケがあったのです。もちろんこれは完全な失敗でした。そもそも満員電車では心地よく本など読めません(頑張ってますが)。ヘトヘトになった帰宅時にあの満員電車に乗るのは、もうそろそろ終わりにしたいです……。

2010年5月20日木曜日

同性愛者のための「出会いツール」紹介 (1) Yahoo!パートナー

先日のブログでとりあげたソフトバンク、そのゲイフレンドリーっぷり、LGBTフレンドリーっぷりは、実は昨日紹介しただけにはとどまっていません。なんと同性愛者が利用できる出会い系サイトまで用意してくれているのです。知ってました?

これから同性愛者のための「出会いツール」紹介と銘打って、何回かにわたって、同性愛者のためのいわゆる「出会い系」について色々と紹介をしていきたいと思います。ただし、僕がこれから紹介していくものは「同性愛者専用」というわけではないものが中心になります。

たとえばゲイ向けの出会い系ツールはたくさん存在しています。メンミクしかり、Grindrしかり、メンズネットジャパンしかり。しかし、その多くは、アダルトな情報をふんだんに含み、セックスパートナーを探す人たちがあふれていることがほとんど。もちろんそれはそれで構いません。ヤリたい盛りのあいだは、そうやってセックスフレンドさえいればいいと思う人は多いと思います。けれど、性的な情報に惑わされないかたちでの出会いだって、やっぱり必要とされていると、僕は思います。

たとえば、男女における婚活を例にとって考えてみます。

一緒に生きていくパートナーを探したい、という思いは、すごく切実なものだと思います。婚活についてはたくさんの批判があります。収入ばかりを出会いの目安にして、恋愛のステップを軽視したようなかたちでの婚活のありさまに、浅ましさのようなものを感じ、批判的になるひとが多いのは、当たり前かもしれません。

けれど、家計をともにし、経済的に支え合っていくというのは、パートナーシップの根幹に関わる部分だと僕は思います。ひとりで生きていくということには、そのぶんの自由も保証されますが、多くの不安や困難もつきまといます。たとえば病気になったら、たとえば職を失ったら。これからずっと本当に自分はひとりで生きていけるのか。

そういうことを考えたたときに、外見や肉体的な相性にばかりこだわらず、精神的な部分、経済的な部分で支えあおうと信じあえるパートナーをみつけたいと考えるのは、とてもごく自然な発想だと思います。「婚活」というものが注目されるようになったのは、自分ひとりでは生きていけないと考える人たちのあいだで、そういう不安が大きなものになっていったという経緯があると思います。

これはストレートの男女だけに関わることではありません。ゲイにも、レズビアンにも、きっとセックスパートナー探し以外の出会いの場を求めている人たちはきっといるはずです。

じゃあ、必要とされているにも関わらず、ゲイ向けのメディアで見つける出会いツールは、何故アダルトなものばかりなんでしょうか? 理由をひとつに求めるのはムズカシイと思います。しかし、大きな原因として、ゲイ向けに特化した広告がアダルトなものとの相性がいいということがあげられるのじゃないかと、僕は考えています。逆に言えば、ゲイ向けの運用を考えたときに、アダルト広告抜きにして収入を得ることは非常に難しいのです。

では、ゲイが利用できるアダルト系でない出会いツールは存在しないのか? そんなことはありません。前置きが長くなってしまいましたが、これからいくつか、ゲイでもレズビアンでも出会いのために利用できるツールを紹介していきます。第1回目は「Yahoo!パートナー」です。

Yahoo!パートナー

ソフトバンクグループのYahoo!Japanが運営する「Yahoo!パートナー」では「自分の性別」と「相手の性別」を入力してパートナーを探すシステムになっています。




僕の場合は、上のような感じに入力します。
さらに、こんな感じの入力項目が続きます。
試しにこのブログで自分だったらどう入力するかシミュレーションしてみましょう。ちなみに、入力してもどこにも僕にも送信されませんので、安心してください。


外見
体型:
身長:
 cm (半角数字)
結婚と子ども
結婚歴:
子どもの有無:
結婚への意向:
子どもがほしい:
学歴と現在の職業
学歴:
職業:
業種:
年収:
ライフスタイル
タバコ:
お酒:
同居人:
なし
子ども
友だち
ペット
その他
その他
社交性:
大人数が好き
少人数が好き
一人が好き
すぐに仲良くなる
徐々に仲良くなる
性格・タイプ:
優しい
知性派
ドライ
ロマンチスト
決断力がある
素直
誠実
明るい
きちょうめん
趣味:
絵画
ボランティア
ダンス
外食
映画鑑賞
音楽(鑑賞)
音楽(演奏)
アウトドア
スポーツ(観戦)
スポーツ(運動)
健康/フィットネス
カラオケ
演劇
旅行
料理
PC/インターネット
ゲーム
囲碁/将棋
テレビ
ガーデニング
クラフト/工作
写真
読書
車/バイク
星座:
血液型:




さて、どうでしょう? ゲイ向けのセックスパートナーを探す出会い系とは、またちょっとひと味違うことが、ゲイならわかるんじゃないだろうか、と思います。

やはり男女向けに作られたものが基本ではあるので、結婚への意向だとか、そういうところはまたちょっと、同性愛者からすると入力に戸惑ってしまう部分はありますが、それを差し引いても、なかなかよくできた構成ではないでしょうか。プロフィールが数字と写真だけで構成されていたりすることが多いゲイ中心の出会い系では、なかなか考えられない入力項目だと思います。

写真つきプロフィールの公開も可能ですが、Yahoo!パートナーについては、個人的には、写真なしでの利用をオススメしたいと思います。単純に外見の相性だけをみて声をかけられる可能性がさがり、他の何かをみて声をかけられる可能性が高まるだろうと思うからです。

もちろん、外見の相性、肉体の相性って、もちろん大事だと思っています。けれど、そういう探し方では見つけられなかった、そんな相手に出会いたければ、こういうタイプの出会い系サイトを利用してみるのもいいのではないでしょうか。

外見やセックスの相性にこだわる出会いは、他の出会い系でも十分楽しめるはず。

精神的に、経済的に、人生を支えあえる、そんな相方を探してみたい。Yahoo!パートナーはそんな同性愛者におすすめの新しい出会い系サイトです。

2010年5月18日火曜日

新製品発表会の前日、ソフトバンクのもうひとつの変革。

今日はソフトバンクモバイルの新製品発表会でしたね。今朝、実はバイト先に遅刻してしまって散々だったのですが、それによる幸運もありました。通勤ラッシュを逃れられたおかげで、電車のなかで座ってモバイルPCからustreamをなんとかみることができたのです。全部を見ることは出来ませんでしたが……

iPadの販売に加え、twitterケータイ、ガンプラケータイ、防水ケータイ、Ustream Asia設立――。次々と新しいものを取り入れ、イノベーションに挑み続けるSoftBank孫社長の姿には、坂本龍馬を重ねあわせても遜色ないのではないか、いや、それ以上の変化をこの会社は起こすのではないだろうか、という期待がふくらんできます。


この前の光の道対談にせよ、会社説明会での演説にせよ、孫社長の熱弁にはとにかく強い実行力を感じます。その強さが、人を惹きつけるのかもしれません。今日のUstreamのSocial Streamを見ていると、とても多くの人がこのSoftBankという会社の一挙手一投足に着目をしているのだということを感じました。

実はこの新製品発表会の前日、SoftBankは日本を変えていくもうひとつの変革を起こしていました。新製品については多くの人が記事にしてくれるでしょうし、せっかく自分の得意分野?な話題なので、僕はこちらを取り上げたいと思います。

LGBT週間ホットライン (with iPhone sponsored by Softbank)



今月16日からはじまっている「セクシュアルマイノリティを正しく理解する週間」(LGBTweekなどと呼ばれています)。内閣府子ども若者・子育て施策総合推進室、法務省人権擁護局が後援という、今までにはない画期的な試みです。その公式イベントのひとつである「悩み相談ホットライン」。実はこのイベントにはSoftBankが協賛しており、このホットライン期間中、相談を受けるスタッフはiPhoneでどこにいても対応出来るようになっています。




このホットラインのすごいところは、単に悩みが相談出来ると言うことだけではありません。実はその相談内容がすべて政府にフィードバックされる仕組みになっているのです。今までなかなか届くことのなかった同性愛者をはじめとするセクシャルマイノリティの人たちの声が、政府に届けられる仕組みになっています。

パレードなど各種LGBT関連イベントへの協賛をはじめ、ソフトバンクは実は今までにも多くのLGBTに対する取り組みを続けてきました。

たとえば、一般にはあまり知られていませんが、ソフトバンクの家族割は、同性愛者が同居している同性のパートナーと一緒に利用することができます。ソフトバンクは、同性のパートナーを、ちゃんと「家族」と読みかえてくれるのです。同性婚どころかパートナー制度すら整っていない日本において、こんな企業はなかなか存在しません。

下の画像は以前のパレードでソフトバンクがつくったコースターです。性の多様性をあらわすセクシュアルマイノリティたちの象徴的なカラーである6色のレインボーにあわせてつくられました。


このイベントの協賛には、ソフトバンクのほかにアメリカン航空とゲイライフジャパンがついています。ゲイライフジャパンはそもそもゲイ向けのメディアだし、アメリカン航空はゲイリブの盛んなアメリカの航空会社です。

そこに一社だけ、日本の通信会社が協賛に名を連ねているのです。それも一度じゃありません。これまでになんどもLGBTのためのイベントにソフトバンクは協賛として名を連ねてきました。

そして今回は自社提供端末であるiPhoneを活用したホットラインの提供。

新製品発表会は非常に素晴らしく、特にUstream Asiaの設立には強い期待を感じました。冬にはUstreamケータイがでるんじゃないか、なんていうこともささやかれていますね。twitterのタイムラインを見ていると、多くのひとたちがソフトバンクに期待をしていると言うことを感じます。きっと今回発表されたtwitterケータイやUstream Asiaが取り組んでいく数々の試みは、これからすぐにたちまち多くの人から素晴らしい評価を受けるのでしょう。

今日のUstreamは2万人もの人が視聴をしていました。対して、LGBTweekの記念シンポジウムに集まったのは60人です。

けれど僕は、ソフトバンクが一緒にとりくんでくれた、この小さな試みを、しかし確実に一歩前へと進んだこの試みをこそ評価したいと思っています。いつの日かこれらの新製品と同じように数万人規模の人たちから評価を受ける時代がおとずれることを願ってやみません。

ーー

ちなみに、今度経済学者の池田信夫先生と孫社長がUstreamで行う対談の書きおこしをお手伝いすることになりました。ソフトバンクが提唱し、いま国を巻き込んだ議論の真っ最中である「光の道」をめぐる対談です。この対談もとても楽しみです。

2010年5月17日月曜日

美味しいは魔法の言葉だと思う。

僕にとってひとつ、魔法の言葉があります。

それは「美味しい」。

ごはんでも、お菓子でも、ひとと一緒になにかを食べるとき、僕はそれを口に出して言うようにしています。いや、もう、意識しなくても、言うようになってしまいました。美味しいものを食べているとき、わりと無意識に言うようになっています。本当はひとりで食事している時にでもいいたいです。周りに知り合いがいなければ言いますけど、職場でのひとりランチタイムでコンビニおにぎり食べてる時とかは、ちょっと言えません。「いただきます」「ごちそうさま」くらいは言いたいなって思うんですけれども。

好きでも愛してるでもなくて「美味しい」。

これ、本当にとってもいい言葉だと思うのです。一緒にごはんを食べているひとにも、一緒にしている食事を楽しんでいるって言うことをちゃんと伝えられます。美味しくって幸せだという感情を、ひとに伝えられます。

それに食事って、毎日繰り返していることだから、なかなか気づかないかもしれないけれど、すごく幸せなことだと思うのです。

僕たちはこんな豊かな時代に、こんな豊かな国に生まれたから、毎日毎日美味しい食事を楽しむことができるけれど、時代をさかのぼれば、みんなが食うや食わずの暮らしをしていた時代があります。時代を遡らなくたって、いまも貧しい国では飢餓で子どもたちが何人も亡くなっているわけです。

これはものすごい幸運です。

それだけの幸運に恵まれたのだから、100円のハンバーガーだって、50円の素うどんだって、心の底から楽しまないと、きっと損です。大損だと思います。これは別に、飢餓に苦しむ子どもたちのことを思いやれとか、そういう話じゃなくて、ただただ、そうやって食事を楽しもうとすることが、毎日のくらしのなかで、自分の心を満たしていける行為だと思うのです。

楽しむときには、コツがあります。たとえば、その食べものがどうやってつくられたかを考えてみるといいかもしれないです。ハンバーガーひとつとっても、レタス一枚、パン一枚、自分ひとりじゃとてもとてもつくれない。そんな食べ物が、たった100円で食べられる。時給1000円で働いていたら、たった6分働くだけで、僕たちはハンバーガーが食べられてしまう。これって本当にすごいことです。なんだか、ご馳走を、ただで食べさせてもらえているような、そんな気持になれます。

ビックマックセットは650円。

まあ、多少おおげさかもしれないけれど、僕の基本は、そういう考え方です。毎日3回、間食も含めたら3回以上、ごはんが食べられる。それを大事にしたら、それを幸福なことだと本当に思えたら、人間関係を除いて、そうそう不幸に感じることってありません。

僕にとってはそれってまあ、一種の宗教みたいなものです。食べ物崇めてます。本気で。

まあ、たまには、不味いなーって思いながら食事を楽しむのも、それはそれでありです。友達とこれまずいねーほんとまずいねーって言いながら、ゲラゲラ笑って食べるのも、それはそれで、なかなか楽しい食事だと思います。

僕と小説との出会い。

小説を読み始めたのは、小学校三年生のころです。

そして、小説との出会いはそのまま、ミステリー小説との出会いでした。

今でもなんとなくなんですが、そのときのことをぼんやりと覚えています。

それは放課後でした。「遠き山に日は落ちて」が校内放送で流れていました。確かなにか忘れ物をしたのだったと思います。僕は皆が帰った後のからっぽの教室に戻ってきていました。誰もいない教室はなんだかいつもと違った雰囲気でした。

僕もいつもと違った気持ちになって、少しなんだかそわそわとしていたように思います。いつもは教室からまっすぐ下駄箱を通って帰っていたのを、なんとなく少し遠回りになる渡り廊下を通って帰ろうとしたんです。渡り廊下をわたったところには、図書室がありました。

図書室では、そういえば、ただで本が借りられるんだ。まるで使ったことがなかったけれど、ちょっと入ってみようかなあ。

西日が差し込む図書室は、ほこりっぽくて、なんだかとても大人の雰囲気につつまれている気がしました。体育館がすぐ近くにあって、部活動をしている男の子たちの掛け声が響いてきてはいたのですが、ガラスいちまい隔てたその図書室という空間には、なんだかいつもの日常とは違うものを感じたようでした。

しばらく時を忘れて僕はいろんな本棚を眺めました。奥には、分厚くて、重そうで、字がぎっしり詰まっている本も並んでいました。難しそうな専門書も奥のほうにおいてありました。こんな本、いったい小学生の誰が読むんだろう? 開いて奥付の貸し出しカードを見たら、その本はずいぶん前にひとりが借りただけでした。禁帯出の分厚い分厚い生物辞典は、写真がたくさん載っていて、これは読むのはつかれそうだけど面白いかもしれない、と思いました。

「ごめんね、もうそろそろ閉める時間なの。なにか借りる?」

時間を忘れていろんな本棚を見ていた僕は、結局借りる本を決められないまま、しばらく時間を過ごしてしまっていました。ああ、なんか借りなきゃ、なにか借りないと。僕は焦りました。

その図書室には漫画や絵本も置いてありました。いつも家においてあって読んでいるような、ゲームブックのような低学年向けの本もおいてありました。かいけつゾロリとか、にゃんたんとか、忍たま乱太郎も。

けれど、何か借りる? と聞いてきた司書の若い女の先生に、僕はなんだか見栄が張りたくなってしまったのでした。難しい本にしなきゃ。

難しい本……小説だ! 小説にしよう!

そのときの僕にとって、小説は大人が読むもの。小説はとっても難しい本で、大人が読むものだったんです。

そうして慌てて選んだ一冊は、少年向けにやさしく翻訳された(ふりがなが振られ、註もいろいろついている)アガサ・クリスティの小説でした。その本をカウンターで差し出すと、先生はとても嬉しそうにしました。

「あら、アガサ・クリスティ、私も好きなの。きっと面白いよ」

正解の本を選んだんだ、と僕は気を良くしました。

「そろそろ閉めるんだけど、もう君以外いないから……ちょっと待っててね」

先生はいったん奥に引っ込んで、すぐに戻ってきました。

「手、出して」

いまじゃなかなか置いていないような、缶入りのカンロドロップス。はちみつ味の、オレンジ色をしたあのドロップスを、ないしょで、先生は僕にひとつくれたのでした。

今思えば、飴ひとつくらい、たいしたことではなかったんだろうと思うのですが、その時の僕にとって、学校でお菓子を食べること、ましてや先生からもらえることというのは、とても特別なできごとでした。正解の本をあてたから、僕は先生に気に入られたのだ、僕はそう思いました。

言いたいけど、みんなには秘密にしよう!!

その日から、僕の秘密の図書室通いがはじまりました。その図書室にあったアガサ・クリスティを読み終えてしまうまでに、さほどの時間は、かかりませんでした。

あのとき読んでいたのは、確かこのシリーズ。僕の記憶では、もっと明るいクリーム色に近い黄色の表紙でした。

2010年5月14日金曜日

湯気でメガネがくもっちゃう問題

僕は普段メガネをかけて生活しています。眼に先天性の疾患を持っているため、コンタクトレンズを(付けられないわけではないのですが)付けずに、メガネをかけて生活しています。ちなみに視力は裸眼で0.01を切るほどのド近眼です。さらに乱視もはいっているので、メガネを外すと、生活が成り立たない状態です。

ここまで極端に眼が悪いと、かえってそこにアイデンティティを感じてしまっている自分がいたりします。「いやー俺、めっちゃ視力悪くてさ」なんて話をするたびに、そこにまったく無駄な自己肯定感が生まれるのです。マイノリティな俺ちょっとカッコイイ、みたいな。なんだかわりかしそういうところあるんですよね。意味ないのに。

まあでも、じゃあ眼が悪くて実際それでいいと思っているのかというと、いや全然思っていません。目がいい人、クソ羨ましいです。しれっと両目2.0だから目が悪い人の気持ちなんてわかんなーい★とかいうやつは死ねばいい。その美しい視界を私に寄こせ。ください。

たとえば何が困るって、俺、どうやらメガネが似合わないらしい。主にゲイウケが非常に悪い。

いや、俺の感覚からすると全然似合っていると思っていたんですよ。自他共に認めるメガネフェチな僕からしてみれば、メガネははっきり言って無条件に点数をあげるアイテムなわけです。セルフレームの四角形メガネかけてれば、だいたいみんなメガネ男子としてレベルがあがります、俺的には。

でもそれはあくまで俺の勝手な思い込みだったみたい。最近、やたらといろんな人から「メガネをとったほうが絶対にいい」と断言されるようになったんです。ていうか、まあ二丁目出たてのころからずっと言われてます。

でもさあ、そんなこと言われたって仕方がないわけですよ! 見えないんだもん! いや一瞬「ちょっとメガネとってよー」って言われて、その場だけ取るとかは全然出来るんです。けど、「絶対メガネとった方がいいよー」とか言われても、それじゃ生活がなりたたないわけですよ! レーシックの手術費とか出してくれたらやらないでもないですけど! ぜひ! いませんかね? 俺にレーシック受けさせてくれる人。ねえ。

最近は、なにやらオルソケラトロジーとかいう新しい近視矯正法ができたようで。ただ、ド近眼はどうやら対象にしていないらしいのと、角膜を矯正するとかいうので、どうも俺には縁のない技術のような感じです。

でもさ、結局、何が一番困るかって、何が一番もったいないかって。

俺、ゲイに生まれた男の特権、銭湯のパラダイスをエンジョイ出来ないんですよ。メガネ外すと、せっかくイケメンが入ってきても視界がぼやっとしちゃってよく分かんない。

かといって、メガネかけてるとさ、曇っちゃってみえない。そもそも湯船でメガネかけてるのすげえ違和感あるでしょ。メガネかけてじろじろ見るわけにもいかんしょ。なのでいつもなんかぼやっとしたままお風呂をでるわけです。

こんな悔しいことがあるか!

以前ノンケ男子に「お前らゲイはずるい!! 俺たちがどんだけ女風呂を心底のぞきたくて仕方ないかわかってない!!!」と力説されたことがあるんですが、僕は反論します。

おれはみれてないの!!! おれだって見たいの!!!!

追記:Perfumenのメガネは可愛い。

2010年5月12日水曜日

今日は父の命日でした。

ちょうど一年前、父がなくなりました。

仕事を終えてアルバイト先を出て、携帯電話をチェックしたら、母からの着信が何回も繰り返しコールしていることに気づきました。なにか急ぎの用事でもあるのかと、折り返し電話をすると、母の声はいつもとは違っていました。

まさひろ、まさひろ、と呼びかけてきて、いったい何が言いたいのか分からず、どうしたの? と僕が問い返すと、母はしぼりだすような声で、ただ一言、僕にいいました。

「お父さんが死んじゃった……」

いったい何が起きたのか分からず、何を言われたのかも分からず、ついさっきまでつづいていた日常から急に違う世界に飛ばされてしまったようでした。「嘘でしょ」と言葉を発してみたものの、それが本当であることはわかっていました。ただ、いままでとの日常との落差が激しすぎて、ただただ違和感ばかりが僕の意識を襲いました。

「帰ってきて……。おねがい、今すぐ帰ってきて……」
「わかった。すぐに帰る」

すぐにアルバイト先に引き返し、たった今母から電話があったこと、父がなくなったことを伝えて、アルバイトの休みを申請しました。

動転していてどうやって帰ったらいいのか、何をしたらいいのかわからなくなってしまい、僕が最初にしたことは、誰かに相談しようと、携帯電話でそのことをSNSに書きこむことでした。それを見た多くのSNSでの友人が心配やフォローのメッセージを添えて、今僕が何をするべきなのか(すぐに飛行機を手配して帰るように。喪服はあったほうがいいがなければないで構わないので帰ることを最優先に。など)を教えてくれました。友人たちを代表してひとりが僕に電話をくれて、その子が僕の代わりに僕の現状を友人たちに伝えてくれました。

そのときの僕は、実は、父へのカミングアウトをする直前でした。

母にはカミングアウトを済ませ、父にも話すつもりで、僕は僕なりにいろいろと準備を進めていました。ゲイについての本をいくつか父に読んでもらうために買って、母とはいつごろ父に打ち明けるべきなのかについても話していました。

対面で話すのがよいだろうと思った僕は、その年の夏休みに帰省をし、そのときに父に自分のことを打ち明けるつもりでいました。

けれど、間に合いませんでした。

父は本当の僕のことを最期まで知ることはなく、いってしまいました。ゲイであることを受け入れて、前向きに生きる僕の姿を父には見てもらいたかった。すぐには理解してもらえなかったとしても、きっと自慢の息子だと思ってもらえるはずだと、僕は期待をしていました。

僕はそのころ周囲に、将来、ずっと一緒にいたいと思える彼氏ができたら、結婚式をしたいと言っていました。ちゃんと家族を呼んで、友人を呼んで、僕はこの人と一緒に生きていくんです、と。日本の法律では結婚はできないけれど、でも結婚式をやるのは別に法律違反でも何でもない。公的にも認められればそれにこしたことはないけど、一番大事なのは友人や家族の前で、僕とその彼との関係を認めてもらうことなんだ、と思っていました。

けれど、父にはそんな姿をみせることはついにできませんでした。

駆けつけた父の地元の葬儀場では、もうすでに父が冷たくなって横たわっていました。

「お父さん、まさひろが帰ってきたよ、お父さん……」

何度呼びかけても、何度呼びかけても、返事が返ってこない。

聞いて欲しいことがあった。

ちゃんと伝えておきたいことが僕にはあった。

返事を聴かせて欲しかった。

横たわった父の表情はとても穏やかでした。隣でこんなに僕らが泣いているのに、声をあげて僕も母も弟も、こんなに必死に呼びかけているのに、なんでそんなに穏やかに微笑んで、なんでそんなにぴくりとも動かないんだ。ただただ「お父さん、お父さん」「起きてよ」「まさひろだよ」と呼びました。頑張って考えたのですが、そうやって呼びかける以外思いつかなかった。

あんまりにも早すぎた。

大学の卒業式にも出てもらえなかった。

亡くなってから父が職場で僕のことを話していたことを知りました。うちの息子は一人暮らしをしながら東京の大学に行っているんだと、早稲田に通っているんだと、話していたんだそうです。

そのときほど不真面目な大学生活をしていたことを後悔したことはありませんでした。ちゃんと単位をとって、胸をはって卒業し、父に報告するべきだった。父が職場で自慢できるように、卒業式で一緒に写真を撮るべきだった。

家族がひとりいなくなるって、こういうことなんですね。

今日のブログは結局、何を書きたかったのか僕にもわかりません。最初は、父にカミングアウト出来なくて、死んでしまってからじゃ何もかも遅いんだよという話を書くつもりでした。でもそれだけじゃない。家族が亡くなるって、そういうセクシャリティの話だけでくくれることじゃない。卒業式も、就職の内定も、これからのことも、いろんなことも、なんにも一緒にできなくなるし、なんにも一緒に話すことができなくなるってことなんですね。

KAUPONで麻布十番の人気豚料理店「豚とんびょうし」のサムギョプサルを食べてきました★

twitterのタイムラインで偶然しったのですが、昨日、お得なプレミアムチケット共同購入サイト『KAUPON(カウポン)』というウェブサービスがリリースされていました。

飲食店などで利用できる割引チケットや独自のプレミアムチケットを使えるサービスです。最低販売数をクリアしないと、取引が成立しないという仕組み。 つまり、たとえば、20名の最低販売数が設定されているチケットを10人分買いたかったら、あと10人分、他の誰かがこのサービスを利用して購入する必要があるというわけです。

まあ「一見は百聞にしかず」ですので、直接見てみてください。

KAUPON みんなで買うプレミアムチケットサイト
http://kaupon.jp/tokyo/

今日、これを早速試してみました。

ちょうど今日、たまたまバイト先のひとたちと新宿に飲みに行く予定だったのです。このサービスを使ってみたかったし、それになにより実際むちゃくちゃお得なチケットだったので、上司に「明日の飲み、ここで出来ませんか?」とお願いして、このチケットを試してみたのでした。

ちなみにKAUPONのチケット購入、支払いはクレジットカードです。ウェブで決済を済ませるわけですね。上司にお願いして購入、予約をしてもらいました。僕が行きたいといったのに、すみませんです。感謝。

クレジットカードで決済というのは、みんなの分の決済をひとりでする必要があるので、なんというか、ちょっとやりにくい気もしますね。確かに安いし、カード決済にも利点はあるのでいいとは思うのですが……。ただ、勿体無いのが、予約を電話で入れる必要があるっていうところ。出来ればウェブで予約を済ませたい人が多いんじゃないかなー、と思いました。

まあでもそのへんは安さが(半額!)カバーしてくれる感じですね。

ちなみに、あっという間にこのチケットは完売してしまいました。いやはや、買えてよかったです。このタイムセール感、これがフラッシュマーケティングというやつですね。

しかし、実はここで問題が……

すっかり勘違いしていたのですがこのチケット、

【有効期限】2010年05月13日~2010年07月13日


そう。有効期限があって、しかも明後日からサービス開始だったのでした。

/(^o^)\ナンテコッタイ

でも結局、お店のご好意で、今回に限り、KAUPON利用で食事ができるように計らっていただきました。ありがとうございます。

柔軟に対応してくれる感じがいいですね。

サムギョプサルって食べたことがなかったのですが、韓国料理のようです。

焼いたキムチと豚肉をサンチュに包んで、いろんな調味料をつけて食べる料理なんですが、鉄板が斜めになっていました。これで豚肉の脂が少し酸味の強いキムチにかかるんだそうです。豚肉からは余分な脂が取れて、キムチの酸味が中和されて、それを一緒に食べるとこれが美味しい!


そのほかにも色々ネギたっぷりのサラダやキムチも食べ放題。キムチは焼いて食べるものなので、そのまま食べると結構酸味がきつくなってます。

そのほかゆでた白菜に、肉とキムチを包んで食べたり。

そのほかにもところ狭しと皿が並んで、ごはんも一応注文したのですが、ほとんど食べずにお肉だけでがっつりお腹いっぱいになっちゃいました。

ちなみに、なんとボトルで焼酎を注文したのですが、これも飲み放題。すごいですよね。

お店にはいると、たくさんの芸能人のサインが壁に書いてあって、どうやら有名人も多数通っているお店のようでした。



今日は割引でかなりお得に飲ませてもらいましたけど、たぶん通常通りのお値段でも結構満足できちゃうと思います。美味しかったし、やっぱり飲み放題なのはいいですね。


バイト先のひとと飲みに行くのはこれがはじめてだったのですが、いやー、楽しかったです。なかなか平日の夜は学校や二丁目に行ってたりして、時間がとれなかったりするのですよ。バイト先のひとたち誘って、二丁目で飲むのもありですけどねえー。

ちゃんと採用してもらう前から自分がゲイだって言うことは伝えてあったので、わりかし気楽だったりします。

またKAUPONつかって飲みにいきたいですねー。

追記:


KAUPONと同じようなシステムで、PIKUというサービスが開始していました。

口コミ割引券サイトのピク【Piku】

こちらもなかなか使えそうなウェブサービスです!! 試してみたい!

2010年5月10日月曜日

インターネットと同性愛者の親和性(1)

同性愛者のコミュニティにおいては実はずいぶん前から語られていることなのですが、「同性愛者とインターネット」というのはとても親和性が高いと僕は考えています。

特にデータがあるわけではないのですが、これはほとんど間違いないと言っても過言ではないと僕は思っています。そして、モバイルインターネットはさらに親和性が高いと言えます。

これは何故か。いくつかの理由があるけれど、まず、インターネットでなければ多くの同性愛についての情報を得ることができない、ということが最も大きいと思います。

異性愛者の場合、マスメディアを通して異性愛について多くの情報を得ることができます。デートはこういうのが定番である、ロマンチックなこんな恋愛がある、男と女はこうであるああである……。マスメディアは異性愛者に向けて多くの情報をふんだんに発信します。これはまあ、当たり前。マス(大衆)に向けたメディアであるから、わざわざマイノリティに向けた情報を中心に構成したりはしない。よって、異性愛者に比べて、同性愛者は情報に飢えるのです。

その飢えの感覚はいわゆるマスメディア、つまりテレビや雑誌などからだけ感じるものではありませんでした。それこそ学校の教科書や、友人との会話でもそう。僕だけではない、インターネットがなければ、あらゆるところで同性愛者は情報に対する飢えをとことん感じることになるのじゃないか。

僕自身がそうだったのです。思春期のあたりから特にそれは顕著だったように思います。グーグル先生に「ゲイ」「同性愛」と入力して、答えを聞きました。いろんな情報を検索ボックスにもとめて入力を繰り返しました。そうやってインターネットに没入しました。そして検索結果をいかに消去し、家族にバレないようにするのかに、腐心しました。少なくとも僕と同世代の同性愛者ならば、そういう経験をしている人は多いと僕は思うのです。

エロに対する情報だってそう。コンビニの18禁ラックにはまったく興味のもてない淫らな女性の表紙が並び、意を決して入ってみたTSUTAYAのAVコーナーには実にバラエティ豊かな女性たちがあられもない姿で男たちを誘惑していました。その光景はあまりに衝撃的で、今でも覚えています。もう、なんだか、とにかくむちゃくちゃ怖かった。「僕がいてはいけない世界だ」と強烈に感じたのを覚えています。僕の居場所はつねにインターネットにありました。

夜中、親が寝静まってから、学校では学べないことを検索して、たくさん学んだものです。はじめてゲイ向けのエロ画像をひらいたときには、パソコンにこの記録が残ってしまったらどうしようかと夜中じゅう頭を悩ませました。もちろん、ゲイ情報だけじゃなくて、インターネットがもつ楽しさに触れて、趣味のウェブサイトで交流したりすることも大いに楽しんでいました。

ちなみに、うちの親がパソコンにむちゃくちゃ詳しかったので、エロの検索についてはいろいろと厄介でした。キャッシュもクッキーも消さなければならなかったし、フィルタリングソフトの設定もいじりました。フィルタリングソフトって、アダルトな情報に限らず、同性愛のキーワードをわりかしはじいたりしてしまうんです。

携帯電話を買ってもらってからは「これなら親にばれない!」と布団の中でひたすらゲイ向けのサイトをみたりしていたのですが、浅はかだった僕はパケット代を甘く見ていました。中学生のくせにパケット料金が月2万を超えたときがあって、母親にはこっぴどく叱られました。友達とメールの回数が多かったということにしたのですが、なんのことはない、僕はケータイ向けのエロ動画をせっせとダウンロードしていたのだった……。残念ながらメールをする友達はむちゃくちゃ少なかった。いやはや親不孝な息子ですね。

若干話がそれました。

同性愛者は、多くの異性愛者よりも情報に対する欲求が高くなり、マイノリティに向けた情報を豊富に抱えるインターネットに吸い寄せられやすいのだと思うのです。

まあ、この点は別に同性愛者だけに限った特別なことではありません。たぶん、マイノリティ全般に共通していることだと思います。たとえばオタクとか、障害者とか、めずらしい性癖を持った人とか。児童ポルノ好きな人とか。あと、在日外国人のひととかもそうなのかも。

そんなわけで、これからこんな感じでブログで何回かに分けて、インターネットと同性愛についての文章をダラダラと書いてきたいと思います。

出会い系やエロ情報から、カミングアウトやコミュニティについて、さらには今人気のウェブサービスとの関係まで(twitterやFacebookなども)広範に取り扱うつもりです。

2010年5月9日日曜日

同性愛者の家族が悩みを相談出来る方法

今日は母の日ですね。

僕はまだ経済的に自立できていない学生で、母には迷惑や心配をかけてばかりです。毎年、母の日には何かプレゼントを買おうかと迷います。

ただ、母が一番のぞんでいるのは、メールや電話で僕が元気な声を聞かせることだということもわかっているし、経済的に自立出来ていない身分で何かを買うのもはばかられるのです。

結局、僕も話をしたいし、電話をかけて「母の日おめでとう」を言うことですませることにしました。

今日ブログで紹介するのは、nanapiにて掲載した「同性愛者の家族が悩みを相談出来る方法」のライフレシピです。

もしこのブログをお読みの方で、息子さんや娘さんの同性愛について何か悩みをお持ちの方がいらっしゃって、この記事がその方のお役に立てれば幸いです。

息子が同性愛者だった。娘が同性愛者かも。

ある日突然、息子の部屋を掃除していたら、ゲイ向けの雑誌が隠してあるのに気づいてしまった……。

ある日突然、娘から「実は私、女の子が好きなの」とカミングアウトされてしまった……。


私の子は、結婚できないんだろうか?

孫の顔を見ることはできないんだろうか?

もしかしてあの子が同性愛者になってしまったのは、何か私の育て方が悪かったんだろうか……?

いや、それよりなにより、あの子が悩んでいるのだとしたら、どうすれば応えてやることができるんだろうか?

今まで気づいてあげられなかった……

なぜ今まで打ち明けてくれなかったんだろう……

一体、どうすればいいんだろう。

今回ご紹介するライフレシピは、そんなふうに悩んでいるお母さま、お父さま、ご家族のかたがそのお悩みを相談できる方法です。


仲間がいます。

ゲイやレズビアン、すなわち同性愛者がいったいどれだけの数いるのか、ご存じですか?

ご推察の通り、正確な統計というものは存在していませんが、英米の調査によれば、だいたい2%程度から13%程度というのが通説になっています。

8%だと仮定すれば、25人のうち2人がゲイかレズビアンだということになります。

それを知れば、なんだかずいぶん気が楽になりませんか?

決して、珍しくはないのです。

日本ではまだまだ自分が同性愛者だと公言している人はすくないですが、それでもあなたの周囲にも確実に私たち同性愛者はいます。

そして、あなたがた家族と同じように、息子/娘が同性愛者であるということの悩みに、多くの家族が向きあってきています。


そんな家族のためのサービスが存在します。

ご紹介するNPO法人「すこたんソーシャルサービス」ではそのような悩みについて、専門的知識を持った経験豊かなスタッフが、同じ仲間(ピア)の立場から、電話、対面によるカウンセリングサービスを行っています。


同性愛者とその家族のための電話無料相談「すこたんホットライン」

すこたんソーシャルサービス」が行っている「すこたんホットライン」では、同性愛者およびその家族からの電話相談を無料で受けつけています。

学校や職場での問題、お子さんとの関係、カミングアウト・恋愛・セックス・性感染症・身体のこと……どんな悩みでもお電話で気軽に相談することができます。

電話番号は047-411-6777です。

受付は毎月の第2金曜日、第4金曜日の午後7時から午後10時までです。


有料の対面カウンセリング

有料の対面カウンセリングも行われています。

状況により出張カウンセリングも可能のようです。

お申し込み方法など詳しくは、ホームページから確認することができます。
有料の電話カウンセリング
「緊急を要するので、ホットラインまで待てない」
「時間を気にせずにゆっくりと相談したい」
そんな方のために、有料の電話相談も行っていらっしゃいます。

お申し込み方法など詳しくは、ホームページから確認することができます。


家族や友人をつなぐ会もあります

レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの当事者の家族や友人たちをつなぐ会もあります。

LGBTの家族と友人をつなぐ会


家族の理解はすごく大きな力になります

僕自身、親にはカミングアウトをしています。

そこで自分自身の性的志向、そして歩みたい道を理解してもらうことができ、そのことが本当に大きな心の支えになっています。

これを読んでいる、ご家族の方。

同性愛者の子にとって親の理解を得られることは、人生の中で本当に大きな大きな一歩になります。そこで深まる絆は本物です。

どうか一緒にその一歩を踏み出してください。

nanapiの記事はこちらです。