2010年5月10日月曜日

インターネットと同性愛者の親和性(1)

同性愛者のコミュニティにおいては実はずいぶん前から語られていることなのですが、「同性愛者とインターネット」というのはとても親和性が高いと僕は考えています。

特にデータがあるわけではないのですが、これはほとんど間違いないと言っても過言ではないと僕は思っています。そして、モバイルインターネットはさらに親和性が高いと言えます。

これは何故か。いくつかの理由があるけれど、まず、インターネットでなければ多くの同性愛についての情報を得ることができない、ということが最も大きいと思います。

異性愛者の場合、マスメディアを通して異性愛について多くの情報を得ることができます。デートはこういうのが定番である、ロマンチックなこんな恋愛がある、男と女はこうであるああである……。マスメディアは異性愛者に向けて多くの情報をふんだんに発信します。これはまあ、当たり前。マス(大衆)に向けたメディアであるから、わざわざマイノリティに向けた情報を中心に構成したりはしない。よって、異性愛者に比べて、同性愛者は情報に飢えるのです。

その飢えの感覚はいわゆるマスメディア、つまりテレビや雑誌などからだけ感じるものではありませんでした。それこそ学校の教科書や、友人との会話でもそう。僕だけではない、インターネットがなければ、あらゆるところで同性愛者は情報に対する飢えをとことん感じることになるのじゃないか。

僕自身がそうだったのです。思春期のあたりから特にそれは顕著だったように思います。グーグル先生に「ゲイ」「同性愛」と入力して、答えを聞きました。いろんな情報を検索ボックスにもとめて入力を繰り返しました。そうやってインターネットに没入しました。そして検索結果をいかに消去し、家族にバレないようにするのかに、腐心しました。少なくとも僕と同世代の同性愛者ならば、そういう経験をしている人は多いと僕は思うのです。

エロに対する情報だってそう。コンビニの18禁ラックにはまったく興味のもてない淫らな女性の表紙が並び、意を決して入ってみたTSUTAYAのAVコーナーには実にバラエティ豊かな女性たちがあられもない姿で男たちを誘惑していました。その光景はあまりに衝撃的で、今でも覚えています。もう、なんだか、とにかくむちゃくちゃ怖かった。「僕がいてはいけない世界だ」と強烈に感じたのを覚えています。僕の居場所はつねにインターネットにありました。

夜中、親が寝静まってから、学校では学べないことを検索して、たくさん学んだものです。はじめてゲイ向けのエロ画像をひらいたときには、パソコンにこの記録が残ってしまったらどうしようかと夜中じゅう頭を悩ませました。もちろん、ゲイ情報だけじゃなくて、インターネットがもつ楽しさに触れて、趣味のウェブサイトで交流したりすることも大いに楽しんでいました。

ちなみに、うちの親がパソコンにむちゃくちゃ詳しかったので、エロの検索についてはいろいろと厄介でした。キャッシュもクッキーも消さなければならなかったし、フィルタリングソフトの設定もいじりました。フィルタリングソフトって、アダルトな情報に限らず、同性愛のキーワードをわりかしはじいたりしてしまうんです。

携帯電話を買ってもらってからは「これなら親にばれない!」と布団の中でひたすらゲイ向けのサイトをみたりしていたのですが、浅はかだった僕はパケット代を甘く見ていました。中学生のくせにパケット料金が月2万を超えたときがあって、母親にはこっぴどく叱られました。友達とメールの回数が多かったということにしたのですが、なんのことはない、僕はケータイ向けのエロ動画をせっせとダウンロードしていたのだった……。残念ながらメールをする友達はむちゃくちゃ少なかった。いやはや親不孝な息子ですね。

若干話がそれました。

同性愛者は、多くの異性愛者よりも情報に対する欲求が高くなり、マイノリティに向けた情報を豊富に抱えるインターネットに吸い寄せられやすいのだと思うのです。

まあ、この点は別に同性愛者だけに限った特別なことではありません。たぶん、マイノリティ全般に共通していることだと思います。たとえばオタクとか、障害者とか、めずらしい性癖を持った人とか。児童ポルノ好きな人とか。あと、在日外国人のひととかもそうなのかも。

そんなわけで、これからこんな感じでブログで何回かに分けて、インターネットと同性愛についての文章をダラダラと書いてきたいと思います。

出会い系やエロ情報から、カミングアウトやコミュニティについて、さらには今人気のウェブサービスとの関係まで(twitterやFacebookなども)広範に取り扱うつもりです。