2010年5月17日月曜日

僕と小説との出会い。

小説を読み始めたのは、小学校三年生のころです。

そして、小説との出会いはそのまま、ミステリー小説との出会いでした。

今でもなんとなくなんですが、そのときのことをぼんやりと覚えています。

それは放課後でした。「遠き山に日は落ちて」が校内放送で流れていました。確かなにか忘れ物をしたのだったと思います。僕は皆が帰った後のからっぽの教室に戻ってきていました。誰もいない教室はなんだかいつもと違った雰囲気でした。

僕もいつもと違った気持ちになって、少しなんだかそわそわとしていたように思います。いつもは教室からまっすぐ下駄箱を通って帰っていたのを、なんとなく少し遠回りになる渡り廊下を通って帰ろうとしたんです。渡り廊下をわたったところには、図書室がありました。

図書室では、そういえば、ただで本が借りられるんだ。まるで使ったことがなかったけれど、ちょっと入ってみようかなあ。

西日が差し込む図書室は、ほこりっぽくて、なんだかとても大人の雰囲気につつまれている気がしました。体育館がすぐ近くにあって、部活動をしている男の子たちの掛け声が響いてきてはいたのですが、ガラスいちまい隔てたその図書室という空間には、なんだかいつもの日常とは違うものを感じたようでした。

しばらく時を忘れて僕はいろんな本棚を眺めました。奥には、分厚くて、重そうで、字がぎっしり詰まっている本も並んでいました。難しそうな専門書も奥のほうにおいてありました。こんな本、いったい小学生の誰が読むんだろう? 開いて奥付の貸し出しカードを見たら、その本はずいぶん前にひとりが借りただけでした。禁帯出の分厚い分厚い生物辞典は、写真がたくさん載っていて、これは読むのはつかれそうだけど面白いかもしれない、と思いました。

「ごめんね、もうそろそろ閉める時間なの。なにか借りる?」

時間を忘れていろんな本棚を見ていた僕は、結局借りる本を決められないまま、しばらく時間を過ごしてしまっていました。ああ、なんか借りなきゃ、なにか借りないと。僕は焦りました。

その図書室には漫画や絵本も置いてありました。いつも家においてあって読んでいるような、ゲームブックのような低学年向けの本もおいてありました。かいけつゾロリとか、にゃんたんとか、忍たま乱太郎も。

けれど、何か借りる? と聞いてきた司書の若い女の先生に、僕はなんだか見栄が張りたくなってしまったのでした。難しい本にしなきゃ。

難しい本……小説だ! 小説にしよう!

そのときの僕にとって、小説は大人が読むもの。小説はとっても難しい本で、大人が読むものだったんです。

そうして慌てて選んだ一冊は、少年向けにやさしく翻訳された(ふりがなが振られ、註もいろいろついている)アガサ・クリスティの小説でした。その本をカウンターで差し出すと、先生はとても嬉しそうにしました。

「あら、アガサ・クリスティ、私も好きなの。きっと面白いよ」

正解の本を選んだんだ、と僕は気を良くしました。

「そろそろ閉めるんだけど、もう君以外いないから……ちょっと待っててね」

先生はいったん奥に引っ込んで、すぐに戻ってきました。

「手、出して」

いまじゃなかなか置いていないような、缶入りのカンロドロップス。はちみつ味の、オレンジ色をしたあのドロップスを、ないしょで、先生は僕にひとつくれたのでした。

今思えば、飴ひとつくらい、たいしたことではなかったんだろうと思うのですが、その時の僕にとって、学校でお菓子を食べること、ましてや先生からもらえることというのは、とても特別なできごとでした。正解の本をあてたから、僕は先生に気に入られたのだ、僕はそう思いました。

言いたいけど、みんなには秘密にしよう!!

その日から、僕の秘密の図書室通いがはじまりました。その図書室にあったアガサ・クリスティを読み終えてしまうまでに、さほどの時間は、かかりませんでした。

あのとき読んでいたのは、確かこのシリーズ。僕の記憶では、もっと明るいクリーム色に近い黄色の表紙でした。