2010年5月23日日曜日

グリーンカレー食べておけばよかったなあ。

ほんの数ヶ月前くらいまでは公認会計士になろうかなあとか言っていて、その前はプログラマだったかな……。やりたいこととかつきたい職業がちょくちょく変わる僕の意志なんて、まあ、受け流す程度に聞いてくれれば構わないんですが、そんな僕が妄想している最近の夢は、食堂をひらくことだったりします。

ただ、実際、僕の料理の腕なんてたかがしれているどころか人並み以下だし、食堂をひらくとなったらそれなりに自己資金は必要になっちゃうわけだし、飲食店の経営なんてそんな生易しいもんじゃないし、ネガティブに考えればいろんな阻害要因は次々と出てくるわけで、まあ、だからただの妄想です。

で、なんでそんな妄想をするようになったかという話をします。僕、食事って、その料理の味とかだけじゃなくて、考え方とか情報とかイメージとかがすごく大事なファクターをしめているよな、って最近よく考えているんです。

たとえば。ただ「麻婆豆腐」って出されたのと、「お豆腐屋さんのこだわり麻婆豆腐」って出されたのとでは、たとえ中身が一緒のものだとしても、食べる側としてはきっと後者のほうが食べていて楽しいし、美味しく感じるものだとおもうんです。使われているひき肉がどこでどんな風につくられたかとか、どこがあじわいどころだったりするとか、そういう情報があると、食事はきっと楽しくなるんです。その豆腐の光沢だったりとか、舌触りだったりとかを、つややかに光るとか、なめらかな舌触りで、とか表現されて料理を出されるだけで、ぐっとその料理はおいしくなる、と思うんです。それはつきつめると、料理の味に直接関係のない話でもいいんです。たとえば麻婆豆腐にまつわる短いものがたりだったりとか、思い出だったりとか、出会いだったりとか。

インターネットの発達で、いろんな人が自分でコンテンツをつくるようになりました。面白い動画や、ぐっとくる音楽が、無料でたくさん手にはいるようになりました。文章も写真もイラストも、すごくいいものが無料でインターネットにたくさん公開されています。デジタルに還元出来るものは、こうやってどんどん無料の圧力をうけるようになります。無形の情報だけでお金をとろうということが、難しい時代になってきました。この流れ、僕はどんどん加速するだろうなと思っています。けれど、よい情報はとても価値があるものだと僕は思います。価値が認められても、価格がつかない。

価格のかわりにくいものはなんでしょうか。それは、かたちがあるものです。たとえば、木材とか、金属とか、石油とか、……食べ物もそうです。たしかに工業化の影響で大量生産が可能になれば、ものの値段はさがります。けれど、そこにはかならず限度というものがあります。物理的な生産コストがかならずかかるからです。だから、無料の圧力を受けることはありません。問題は、供給の過剰がもたらす競争の激化です。価格はつくのだけれど、価値が認められにくい。

このあたりの話のもっと詳しいことは『FREE』を読めば、おそらく分かるだろうと思います。

クリス・アンダーソン
日本放送出版協会
発売日:2009-11-21

そこで思ったのはこういうことです。「価値が認められるけれど価格がつかない」情報と「価格はつくけれど価値が認められにくい」"かたちあるもの"との相性はとてもいいんじゃないかということです。

クリス・アンダーソンは「FREE」のなかで情報のことを「ビット」、"かたちあるもの"のことを「アトム」と表現しています。アトムとは、生産コストがゼロにはなりえないものです。生産コストを下回って価格をつけることはできません。ただ、競争率の高さゆえに、価値がなかなか追いついてこない。そこで、価値のあるビットを”FREE”で付加することが商品を成り立たせるのです。これは逆に言うこともできます。無料の圧力がかかったビットを売るには、価格がつけられるアトムを付加するしかないのです。

若干はなしがそれつつあるので、食事の話に戻しますね。

料理店の競争は激化しています。いま日本で食事を食べられる場所を探せば、いや、探さなくても、驚くほど豊富にたくさんのレストランやカフェが存在しています。無料で食事を提供するところは先程の話からもわかるように存在しえません。価格は、どうしたってつくのです。ゆえに、そこで起こっているのは単なる価格競争ではありません。ひとびとはどうやってその数ある飲食店から、行く店を選んでいるのか? そこにおおきく関係しているのが、なにをさしおいても、ビット――つまり無料で提供されている、文章や音楽やイメージなんです。

最近読んだ小川糸さんの「食堂かたつむり」という小説があります。

この小説には本当に美味しそうな食事がやまほど登場します。この小説を読んで僕は、ここに出てくるすべてのごはんが全部たべてみたい!! と心の底からめちゃくちゃ感動しました。お妾さんのためにアイスをつくるシーンがあるんです。主人公の女の子は、そのアイスをつくりながら、ひとのためにアイスをつくることが出来る喜びに胸を詰まらせるんです。その喜びに胸がつまって、呼吸ができなくなって死んでしまいそうなほど幸せだ、っていうその文章を読んでいると、もう無性にそのアイスが食べたくなるのです。どこにいったらあのアイスを食べることが出来るんだろう!!! と頭をかきむしったのを覚えています。

文庫版の「食堂かたつむり」には、「食堂かたつむり」本編の途中で登場するゲイカップルの結婚式のシーンをさらに掘り下げて描いた短編がついています。これは本当にとにかくグッと来るので、ゲイのみなさんは是非買って読んでください。いえ、ゲイでなくても是非読んでください。

ゲイカップルが自分たちのハネムーンだというつもりでの旅行で立ち寄った食堂かたつむり。そこで本編の主人公である女の子は、そのゲイカップルのために「では結婚式のご馳走を」と心をつくしたおもてなしをするのです。

出会いのきっかけにチョコレートが深く関わっているその二人にと、チョコレートが振るまわれます。そして「食堂かたつむり」の人気メニューであり、それを食べると恋や願いがかなうという「ジュテームスープ」や数々の心のこもった料理を食べて二人は感動し「あの子二丁目でお店開いたら絶対人気でるよ!」「もったいないわっ」なんて言いあいます。そこではウエディングケーキまで振舞われます。今までの思い出を振り返りながら、ふたりはいまの自分たちがいかに幸せかということを感じます。イバラの道を嘆くのではなく、この幸せを感じながら生きていこうと。ふたりはお互いにプレゼントをおくり、幸せな夜が明けるとまた、女の子が用意してくれていたおでんを食べるのです。


僕の妄想はまさにこんな物語と組みあわさった食事の体験にもとづくものなのです。

食事というのはただ食べるだけでも勿論すごく幸せになれるものです。けれど、誰かと一緒に食べたり、胸を詰まらせるような思い出とともに食べたり、大好きな音楽やインテリアにかこまれて食べたり、そういう付加価値がその幸福を倍増させてくれるものだと思うのです。

僕はよく外にご飯を食べに行くけれど、ときどきなんて勿体無いんだろう! と思うようなお店に出会うことがあります。それは、料理自体はとてもとても美味しいのに、味だけで勝負してしまっているお店です。もちろん、それはそれで結構なことだとは思います。味で勝負することは、きっととても大事です。

けれど、その美味しい食事をもっともっと食事を幸せにするスパイスをもっと使ってみてもいいんじゃないかと思うことがあるのです。そこでの食事がとても思い出深いものになるような、出会いや、思い出や、音楽や、ストーリーが、日本の多くのレストランやカフェにはなんだか欠けているような気がしてならないのです。そういうものはお客さんたちが自分でつくるんだっていうのも、分からなくはないけれど、でも、そうじゃないお店がもっとあったっていいと思うのです。

僕がよくいくゲイバーでは「男ができるカレー」が振舞われます。伏見憲明さんというゲイの作家さんが毎週水曜日に営業している「エフメゾ」というお店です。カレーのほかにも、時季にあわせておでんやハヤシライスも振舞われます。伏見さんはけっこう遠いところにある自宅から毎週料理を仕込み、そのお店に通っています。あれだけの量の料理を毎週つくって運んでくるのはきっと重いだろうなあ、なんてことを思います。値段も普通のカレーショップなんかよりも全然安くて、でもすごく美味しいんです。辛さはさほど強くなくて、スパイシーでもなくて、けれど甘いわけではなくて、材料の旨みが出ているいわゆる「おうちカレー」のタイプの味。きのこが入っていてそれも僕的にはかなりポイント高いです。僕は毎週そこで食事をするのを本当に楽しみにしています。

僕は実際に、その「男ができるカレー」を食べて、そのママに勧められたお店に行ってみて、そこではじめての彼氏ができました。そこで童貞まで卒業してしまいました。そこで僕はいままでいろんな友人と出会い、ときに恋をして、毎週とても楽しい時間をそこで過ごしています。

いま日本でたくさんのひとが年に三万人以上も自殺をしていて、不幸を感じているひとがすごくたくさんいます。なんかこんな大きな問題にからめてを語るのもなんなんですが、そういうたくさんの不幸を和らげるには、もっともっと世の中に楽しまれる食事がふえるということがきっと大事なんじゃないかとおもうのです。毎日三食あるんですよ。そのなかで一食、たとえば朝ごはんを今よりちょっと美味しく食べられるようになるだけで、毎日一度、すこしずつ何かが変わっていくと思います。

それは全然立派な食事とかじゃなくていいんです。お金なんてかかってなくてもいいんです。豪勢な食事とかプロの料理人が丹精込めてつくりあげた一品とかじゃないんです。誰かと一緒にものを食べる、ひとがつくったものを食べる、そのことをもっと大切にした食事がふえたらいいなと僕は思っています。

途中なんかいろいろと話しがそれてまとまっていないんですけど……。要はそれで、食堂かたつむりの女の子がつくるウェディングケーキや、伏見さんがつくるカレーのようなそんな食事を提供できる、そんな食堂がもしいつか開けたらいいなあ、そんな商売ができたらきっとうまいくいくんじゃないかなあ、なんてことを、最近は妄想したりしているのです。

ちなみに、僕は料理を食べることは得意なんですが、正直あんまり料理が得意でないので、料理のうまい旦那さんが欲しいところですね……。

そういえば、以前つきあいかけた彼が、グリーンカレーをつくるのがすごくうまいらしくて、一度ご馳走してくれるっていう話だったんですが結局一度も食べないうちに別れちゃって、なんかもったいなかったかもなあ、なんてことをふと思い出しました。