2010年5月31日月曜日

Perfume10周年東京ドームライブ決定! そこで一体、何が起きるだろうか。

いまや国民的人気アーティストとなったPerfume。

本日、10周年ドームライブが決定しましたね。他のアーティストの「10周年」とは随分毛色が違うこの「10周年」。メジャーブレイクしたのはほんの数年前のはずなのに、デビュー10周年。彼女たちの下積み期間については、あらゆるメディアで既に取り上げられていることだから改めて語ることはないと思います。が、もしも以下の動画をご覧になったことがない、という方がいれば是非ご覧になっていただきたいです。



いまさらながらではありますが、Perfumeのアーティストとしての魅力を考えてみたいと思います。僕はたったふたつの言葉にざっくり集約されると考えています。「表現」と「物語」というふたつの言葉です。まあ、いまさらながらのPerfume論ですし、いままで語られてきた多くのPerfume論の言い直しにしか過ぎず、しかも一枚の記事にまとめられるようなことではないのでまとまっていないと思いますが……。

Perfumeの三人は表現者とアイドルという相反するかのような存在のどちらでもあることを課された存在だ、と僕は考えています。

アイドルというのはつくられた偶像です。かつてのアイドルたちと同じように、Perfumeもアイドルです。人形が指定された服を着せられるように、あらゆる表現手段を周囲の大人達から指示されます。そこに自分たちの自由はありません。「この曲を、こんな振付で、こんな衣装で、こんなPVで」。従来のアイドルであれば、そこに表現手段がまだ残されていました。それは歌声です。しかし、Perfumeにはそれすらも許されませんでした。歌声の自由は剥ぎ取られ、Perfumeは完全にお人形としてのアイドルであることを命じられました。

一方で、中田ヤスタカや関和亮というアーティストたちと組むことで、Perfumeは表現者であることも求められました。当然のように聞こえてくるわけです。中田ヤスタカによって加工された声に対する「あんなのだったら、誰でもいいじゃん」という声が。そこで三人でなければならない、なにかを表現する必要がありました。従来のアイドルであれば、歌声を表現者としてのアイデンティティにすることができました。Perfumeにはそれが許されませんでした。しかも従来型のアイドルよりも強くアーティスト性を求められる立場となってしまったのです。袋小路のように思えますが、そこにはちゃんとPerfumeの表現手段が残されていました。それがダンスという表現でした。

長い長い下積みの中、アクターズスクールで過酷な試練を積んできた3人にとって、ダンスは数少ない武器の一つでした。MIKIKOの指導によるダンスはとてもアイドルのものとは思えない難解な振付けです。三人はインタビューの中でこのように答えています。「難しい振付を、簡単そうに見えるように踊っている」と。

確かにPerfumeの振付は、一見なんとなく覚えやすそうな印象をおこさせます。歌詞とリンクした振付はそれぞれ特徴的で頭に残りますし、曲調はポリリズムに代表されるように繰り返しを多用するものが多いので、おなじように身体を動かせるような錯覚を一瞬感じさせられるのです。しかし実際は、Perfumeの振付ほど難しいアイドル曲を僕は知りません。なかには多少やさしめの曲もありますが、ほとんどの振付はとても一朝一夕に覚えられるものではないのです。

ただダンスだけでは、Perfumeの表現は完成しません。ダンスだけでは足りない。Perfumeが選んだのは、お客さんとのコミュニケーションです。Perfumeがブレイクしかけのころ、耳のはやいリスナーたちのあいだでは、このようなクチコミが流れていました。「Perfumeのライブが、異常に盛り上がるらしい」。定番の挨拶から、三人で仲良くしゃべるMC、気軽な広島弁に、お客さんとの自然なやりとり、歌っている最中にも三人はファンにあらゆるかたちでシグナルを送り続けます。アイドルファンたちにはそれに呼応する下地があり、またクラブファン層にはそれが新鮮な体験であり、またたく間にそのライブの完成度は多くのリスナーが知るところとなりました。

デビュー後ブレイクし、リリースが相次ぎ、あ~ちゃんはインタビューに対してたびたびこのように漏らしています。「ライブがやりたい」「レコーディングは楽しくない」と。CDやTV出演というかたちでビジネスが成立するようになってしまったことで、Perfumeは再び武器を失います。マルチアングルのカメラによってダンスはきりとられ、ライブMCのないシングルやアルバムといったかたちで曲が届けられるようになってしまったのです。せっかく手に入れた表現手段が制限され、しかも、お客さんはカメラや雑誌の向こうがわ。何万枚というヒットの数字だけをきかされ、急にライブの現場からひきはなされてしまった三人は、不安に陥りました。自分たち3人のものであったはずのPerfumeが急に誰かの物になってしまったような感覚。特に自分でメンバーを選び、活動を率いてきたあ~ちゃん、いや、西脇綾香にとってその苦痛は耐え難いものであったようです。

ブレイク後のインタビューでは、自分たちの音楽を支えてくれる中田ヤスタカやその他の周囲の「おとなたち」たちに対し、「ありがたい」と語りつつ、その口調には徐々に皮肉が込められるようになりました。その最たるものが、Rockin'on JAPAN 09年 7月号のインタビューです。

あ~ちゃん:シングルのリリースって、すごい辛いときがあって。これって何でリリースしてんだっけ?みたいな。ライブが無いと忘れちゃうんですよ。シングルは誰が聴いてくれてるんだ?とか。Perfumeがあり続けるために出してるみたいな。
ーーー(中略)ーーー
 あ~ちゃん:そればっかりになっていくのは怖いけど。ほんとに素材としてしか考えられていないっていうのは。

このインタビューをめぐっては、多くのリスナーの間で激論が交わされました。もっと過激なことも言っているので、これは是非全部読んでいただきたいです。


Perfumeの表現については、これ以上偉そうなことを語ると、古参のファンのかたがたにのされそうなので、この辺にしておきます。今、Perfumeがどんな表現をしているのか。どこにむかっているのか。そのあたりはブログ「Aerodynamik ー 航空力学」さんあたりを参照するのがおすすめです。

もうひとつのPerfumeの要素といえるのが「物語」です。かつてのアイドルは、すべて「物語」がマスメディアによってプロデュースされたものでした。しかし、ここに今までのアイドルとの大きな違いがありました。

その物語は、インターネットという媒体によって、ループの構造になっていました。アーティストサイドから語られた物語がファンサイドから再び語りなおされ、さらにそれをアーティストサイドが語れば、さらにファンサイドからもそれが再び語りなおされ、ようやくそのループのなかにようやく本当の物語が現れるという構造になっていました。先程のYoutube動画もそのほんの一例です。

ポリリズムの歌詞はその意味で非常に象徴的です。

とても大事な キミの思いは
無駄にならない 世界は廻る
ほんの少しの 僕の気持ちも
めぐりめぐるよ

さて、Perfumeは、アイドルとしてもアーティストとしても頂点にのぼり詰めたことで、いったん「シンデレラストーリー」を消化しきったということが出来ると思います。すでに「GAME」でオリコンチャート1位を獲得したあたりから、その「消化しきった」感はファンの間に漂っていましたが、「ライブ」という別目標をファンの前に明らかにすることで、Perfumeはどうにかそのストーリーを保ち続けていました。しかし、それもこれまでです。山がなければ、これ以上登ることは出来ません。王子様と結婚したら、シンデレラストーリーは終了です。そこから新たな物語が語られることはないのです。

ただ、僕は正直なところ、これからPerfumeは何か大きな変化を起こすだろのではないか、と予測しています。

Perfumeは、もともとSPEEDという存在をモデルにして西脇綾香がつくりあげたグループです。SPEEDはその全盛期に解散を発表しました。SPEEDはメンバーにそれぞれ独立願望があったのに対し、Perfumeは「三人」にこだわるユニットなので、同じ道を辿るとは考えていませんが、何かしら予感のようなものを感じます。

これまでどおり、中田ヤスタカをはじめとするプロデュース陣と同じ制作体制を続けていくのでしょうか。果たして、これからも「同じ変化」を続けるPerfumeなのでしょうか。

同じでも構わないけれど、同じでも僕はPerfumeが好きですけれど――

でも、メジャーブレイクのあのときのような、急激で、激しい変化への興奮をまた味わいたいと考えているファンも、少なからずいるのではないか、と僕は感じています。