2010年7月15日木曜日

中田ヤスタカの歌詞の世界 ~ポリリズムとエレクトロ・ワールドから

中田ヤスタカは自分の書いた歌詞についての説明をほとんどしません。これは歌い手に対してさえもそうで、Perfumeの三人に対しても、歌詞の説明はされないと聞きます。

capsuleの楽曲については、そもそも歌詞すら明らかにしません。歌詞を聞き取りにくいものも多々あり、歌詞そのものに複数の説がある場合も珍しくありません。その最も特徴的なのが「JUMPER」です。検索してもらえば分かりますが、正しい歌詞をみつけることはほとんど不可能です。なお、capsuleの楽曲はカラオケにもほとんど入っていません(capsuleは一部を除いてJASRACに楽曲管理を委託していない)。

こういった中田ヤスタカの姿勢は、ほぼ間違いなく意図的なものだと僕は考えます。よく彼について言われるのは、彼がとてもビジネス的な発想の持ち主だということ。

それは彼が語る音楽制作スタイルからも明らかです。彼は常に自分の音楽制作にとって最適な手法を模索しています。

例えば、有名な話ですが、彼は自宅に自前のスタジオをつくっています。電話ボックスサイズの、非常に小さなスタジオです。

何故このようなスタジオをつくったのか。スタジオをレンタルすることは、スタジオを利用する時間に制限がかかってしまうからです。そして、彼の音楽にとって、一般的な「大きなスタジオ」は必要がない。レンタルスタジオは彼の音楽にとって、コストであると彼は判断しました。機材についてのこだわりも非常に強い中田ヤスタカにとって、スタジオはレンタルより自前であったわけです。

しかし、スタジオはレンタルするものだという認識が根強い音楽業界。そこにあって、この判断を下せる中田ヤスタカには、サウンドプロデューサーという肩書きだけではない、別の才覚を見出さずにはいられません。

また、これだけ成功したサウンドプロデューサーでありながら、決してそれを専業にはしないところも、サウンドプロデューサーとしては特徴的です。DJかつイベントオーガナイザーという自分の足場を着実に固めており、それどころか、Perfumeなどのプロデュースを、DJなどの活動のプロモーションとすら捉えているフシさえあります。

歌詞の話に戻ります。

以前の記事にも載せましたが「ポリリズム」の歌詞の話をします。

ほんの少しの 僕の気持ちが
キミに伝わる そう信じてる
とても大事な キミの思いは
無駄にならない 世界は廻る
ほんの少しの 僕の気持ちも
巡り巡るよ

この歌詞において中田ヤスタカが表現したことを僕なりの言葉で説明します。

「表現や気持ちというものは、伝えることができる。僕の発した表現についてのキミの思いも無駄にならないし、キミから返ってきた言葉を、伝え手は受けとめることができる。僕が発した少しの気持ちの表現が、キミたちを経由して、世界をめぐることを信じている。」

これは、インターネットの発達によって、アーティストとファンの距離が縮まったこと、そしてインターネットによるファンの言葉の影響力が大きくなったことを示唆していると僕は考えます。現にPerfumeやcapsuleの成功を支えたのは、マスメディアのプロモーションよりもネットのコミュニケーションからの影響が大きいわけです。

ここに、歌詞について説明を避ける中田ヤスタカの意図を見ることが出来ます。

中田ヤスタカの歌詞は解釈が受け手に委ねられています。何故、中田ヤスタカは解釈を委ねるのか。それは、解釈について、コミュニケーションの発生を期待しているからだ、とは考えられないでしょうか。

おそらく彼は、「コミュニケーション」こそ音楽が扱うことのできる最も大きな商材のひとつであると捉えているのだと思います。彼は自身が主催するパーティやライブなどについて「音楽以外のものを楽しんで欲しい」と言います。これこそまさに、彼が音楽そのものだけではなく、音楽を通じたコミュニケーションをも、自分の売り物だと捉えていることの証左ではないでしょうか。

せっかくですので、もうひとつ、「エレクトロ・ワールド」という曲の意味解釈について、話をします。

この歌詞は広義のパラダイム・シフトについて書かれた曲です。認識や思想、価値観などが劇的に転換するさまを描いています。

この道を走り進み進み進み続けた
地図に書いていてあるはずの町が見当たらない
振り返るとそこに見えていた景色が消えた
この世界僕が最後で最後最後だ
エレクトロワールド
地面が震えて砕けた 空の太陽が落ちる 僕の手にひらりと

いままで自分の進み続けた道の先に待っているものが、以前の認識で捉えていたものとは違っていた。地面が砕け、太陽が落ちる。

これはまさに、価値観の転換、革命的な考え方の変化そのものについて描いた歌詞です。それを「エレクトロ・ワールド」というフレーズを通じて書いているのは、多くの人が、インターネットと密接に関わった「価値観の転換」を体験していることを踏まえたものだと僕は考えます。
本当のことに気づいてしまったの
この歌詞で書かれている「本当のこと」は、最重要キーワードです。その「本当のこと」をインターネットで得たのか、それともインターネットから離れたリアルの世界で得ることができたのか。ここを前者と捉えるか、後者と捉えるかで話がだいぶ変わってきます。僕の解釈では後者です。

僕の個人的な体験に結びつけて話をします。

インターネットによってゲイについての情報を得ることは今や難しくありません。検索ボックスにそれらしきキーワードを放りこめば、ケータイでもパソコンでも、ゲイについて知ることができます。

しかし、新宿2丁目をはじめとして、ゲイが集う場所やイベントに出かけていき、そこで人間関係をつくっていったことで、僕の価値観は広義の意味でパラダイム・シフトをおこしました。

インターネットによって知ることの出来る情報は、結局のところ、濃縮された「うわずみ」に過ぎないのだ、ということを僕は学びました。

ゲイのことを知りたいのなら、やはり、自分の足でゲイたちに出会いに行くことが最も必要なのです。

そこで息をして、暮らしをして、ご飯を食べて、仕事をして、恋をして、 そうやって生きているゲイの、 歩くときの呼吸や、笑った表情や、まるまった肩や、皺ついた手のひらや、 話すときの声色や、笑いすぎたときの涙のこぼれるさまを、 同じ場所に出かけていって、直に感じ取ってくることが「ゲイについて知る」ということなのです。

これが僕の「本当のことに気づいてしまったの」です。インターネットによって生成された価値観が転換させられたことを重ねながら聴くことが出来る曲なのです。「エレクトロ・ワールド」とはすなわち、このウェブ社会の中で人々が自分のなかにつくりあげている「世界」そのものです。

いかがでしょうか。

エレクトロ・ワールドだけではなく、中田ヤスタカの歌詞には、それぞれによって、いろいろと解釈が可能なものがたくさんあります。

Wikipediaを調べてみると、この「エレクトロ・ワールド」は「コンピュータで生成された仮想世界が崩壊していくさまを描いている」なんていう「説明」が載っていて、「要出典」を付けられています。

その他の曲の歌詞についても、非常にオモシロイものがありますが、それはまたいつか別の記事で。