2010年7月23日金曜日

ポーの"大鴉"を題材にとった、Utada「Kremlin Dusk」を聴く。

先日、ゲイバーで友人と宇多田ヒカルの話になりました。僕のゲイの友人には音楽好きな人が多く、その日は特に女性歌手の時代の変遷を追うようなトークでした。そのなかで最も盛り上がったのが宇多田ヒカルの話題で、その場で宇多田のウェブサイトを見て、ああでもないこうでもないという話をしていました。

広く知られていることですが、宇多田ヒカルの音楽は、古今東西の文学を多くモチーフにとっています。その中でも、文学そのものとして発表したかのような楽曲、Utada名義による "Kremlin Dusk" をみなさん聴いたことがあるでしょうか。



この楽曲で引用されている、エドガー・アラン・ポーの「大鴉(The Raven)」は、いわゆる物語詩です。

主人公は恋人レノーアを失って打ちひしがれており、そこに大鴉が訪れます。主人公は名前を聞くと、大鴉は「Nevermore(二度とない)」という返事をします。そのうち、主人公はその大鴉が「Nevermore」以外の言葉をしゃべれないことを革新します。主人公はそれから大鴉との対話を試みたり、打ちひしがれた思いをわめきちらしたりしますが、そのたびに帰ってくる言葉はくりかえし「Nevermore」のみ。最後に主人公は、天国でレノーアと再会できるかを問いかけます。大鴉は「Nevermore」と答え、主人公は発狂します。主人公はそうして、大鴉の影に魂を閉じ込められ、「Nevermore」と叫ぶことしかできませんでした――という物語。

この物語詩の特徴は、その音韻。

僕は詩に詳しい人間ではないので、完全にWikipediaからの受け売りですが、『大鴉』は各々6行の18のスタンザ(詩節、連)からできているのだそうです。

韻律は強弱八歩格。これは、アクセントの強い音節の次にアクセントの弱い音がくるトロキー(強弱格)という韻脚を1単位として、それを8つ重ねたものが1行になるというものです。第1行で説明すると次のようになります(太字は強勢、「/」は韻脚の区切り)。

Once up- / on a / mid-night / drear-y, / while I / pon-dered / weak and / wear-y

大鴉 ー Wikipedia

よくわかりませんよね(笑)

でも、なんとなく、催眠術的な感じを起こさせるものだということは理解できます。大鴉が主人公に繰り返し「Nevermore」と返すのもまた、催眠術的です。

ところで、実際僕も原典に挑戦を試みたのですが、英語が苦手なので、挫折しました。

代わりに、つい数年前に出た加島祥造による翻訳があるので、僕はそちらを読みました。


エドガー・アラン・ポー,加島 祥造
港の人
発売日:2010-02



この加島祥造の訳が特に優れているのは、「Nevermore」を訳さずに、そのまま「Nevermore」としたことのようです。また、実際に読んでみると分かりますが、無理なく、踏める音韻だけは翻訳版でも踏むようにしているのが分かります。

「と」の音が印象的。


さて、この作品で執拗に繰り返される「Nevermore」という言葉。

ポーはこの「Nevermore」の「o;(オー)」という長母音が、長く伸ばすことが出来て悲哀の調もかねることが出来る言葉だとして、選んだのだそうです。

Utadaはこの「o;(オー)」の響きを、この楽曲 "Kremilin Dusk" に執拗に取り入れています。確かに楽曲前半の「o;(オー)」は特に、悲哀を感じるような、そんな音がこめられているように聞こえます。

Utadaのこの試みは、実は詩ではなく歌という表現手段だからこそ出来た表現です。本来なら長母音ではない音も、歌の中で長母音へと変化させて強調しています。

まず、「Kremlin Dusk」の歌詞前半の悲哀を込めて歌われる部分を見てみましょう。

All along I was searching for my Lenore
In the words of Mr. Edgar Allan Poe
Now I'm sober and "Nevermore"
Will the Raven come to bother me at home

Calling you, calling you home
You... calling you, calling you home

By the door you said you had to go
Couldn't help me anymore
This I saw coming, long before
So I kept on staring out the window

Calling you, calling you home
You... calling you, calling you home

赤く記したのは長母音の「o;(オー)」が使われている箇所。特に末尾の「o;(オー)」は実にたっぷりと伸ばして発声していますよね。これを見ながら聞いてみると、Utadaのこの長母音に対する表現の試みが分かると思います。

これだけではなく、Kremilin Duskは、全編にわたってこの音律へのこだわりが見える作品なのですが、もうひとつ特筆しておきたいのは、歌詞後半の執拗に繰り返される、疑問文の繰り返しです。

一部だけ、和訳を添えて抜粋します。

Is it like this
Is it always the same
If you change your phone number, will you tell me

それが好き?
いつもの調子?
電話番号を変えるなら、教えてくれるよね?

ちなみに、この部分は「i(イ)」の音が特徴的ですね。

何故後半はひたすら疑問文を繰り返す構造になっているのか。僕が考えるに、ここには問いかけに対するとある答えがすべて省略されているのです。

もちろんその答えとは、「Nevermore(二度とない)」。

楽曲前半の悲しい穏やかさに比べ、疑問文が執拗に繰り返されるにつけて、楽曲の調は狂乱と絶望に駆られたかのような激しさをまとってゆきます。それはまさに大鴉の主人公と同じような感情の流れです。

Utadaがこの楽曲を収録した「Exodus」には、この曲以外にも、様々な実験的作品が複数収録されていますが、僕は特にこの「Kremlin Dusk」が面白い楽曲だと感じました。たまにこの曲、ヒトカラで歌ったりしていますw

Utada
ユニバーサルミュージック
発売日:2004-09-08

他の楽曲も魅力的です。おすすめです。