2010年10月20日水曜日

静かな夜道の中で考えている些末なこと

僕はものすごくインドアな人間だと周囲に思われがちです。

実際、確かにインドアな傾向はあります。インドアじゃなかったらこんなに太ったりしないし。あと、僕はネットオタクみたいに思われていて(まあ別に間違ってないけど)、それがインドアイメージに拍車を掛けるんです。


でも僕、実は家にいるのが本当はそんなに好きじゃないんですね。

本とかパソコンとかあれば家の中でもそこそこ楽しいけれど、ひとりぼっちの家の中は基本的にそんなに楽しくない。家で彼氏がごはんつくって待っててくれたら、喜んで家に帰るけど、そうじゃないから、家に帰るときって結構ゆううつ。外にでて友だちと遊びたいです。

夜中とかにも、なんかふと思い立って散歩にでかけることがあります。

家の中でうだうだしてると、気分が滅入ってくるときがあるので。WimaxのモバイルPCを持つようになってからは、特にそうかも。

それで、冷え冷えと寝静まった夜道を歩いていると、いろいろな発見があるなと思うのです。発見といっても、別にすごいものをみつけるとかじゃない。別にすごいと思わなかったものとか、なんだかふと、「あっ、すごいな」と。思っちゃうのです。

道端の街路樹とか石段とか、住宅街の瓦屋根とか、ぜんぶ俺にはつくれないものばかり。


いまの若い人はすごく大変だっていう。金持ちな老人ばかりが特をして、貧乏な若者はつらいと。それはまあ、間違っちゃあいないと思う。バブル世代とか、きっといい思いしたんだろうなとか、想像だけどたしかに思います。

でも、まあ、いまの老人とか中高年の人たちがそれぞれひとりひとりどうかってことは置いとくにしても、僕は総じて「先達(せんだつ)」――つまり、先になにかをなしとげてきたひと、そういうひとたちってほんとうに凄いと思うし、尊敬に値すると思うのです。

そして、その恩恵を受けることが出来る僕たちは、それだけで、自分なりに幸せになるための「素養」を身につけているんじゃないかな、と思うのです。

人間は進化をくりかえして、僕はいまここにいきている。なんか小っ恥ずかしい表現だけど。

自然に適応し、時には改変し、そういったものにたいして、知恵を働かせてものをつくり、生活し、そうやって、僕たちは今に至るわけです。

少し話が飛んでしまうけれど――

たとえば、食糧増産技術なんかは、本当にすごいと思う。

日本も、品種改良の技術をアジアにもアフリカにも輸出したりして。20世紀は食料と人口の世紀だったと、僕は授業で習いました。

人口に合わせて、農の技術は、食糧の増産を繰り返してきました。多くの命を救ってきました。

僕たちはいつも当たり前のように、何気なくいろいろなものを食べているし、着ているし、歩いているし、住んでいるけれど、ふと夜中にそうやって歩いていると、そうやって当たり前のもののすごさを考えたりするのです。

ちょっとセンチメンタルかな?

日本の農業を担うひとびとの半分以上は65歳以上。

いま、僕は、僕に出来ることを考えているところ。