2011年3月2日水曜日

都条例から考える ~ 公共の福祉か、商売か

青少年健全育成条例が話題になった「都条例」。僕は反対の立場です。

僕は、表現などの問題というよりも、どちらかというとこの条例を「商売」の面からいろいろ考えていたりしました。


人の求めるものを売って、生活の糧とし、また金を得ることでまた新たな、より良い商品を産み出すことができる、それが商売。金が絡むことで、良い方向にも悪い方向にも転ぶものですが、良い方向に転がったときの力は大きいものです。

その力の大きさに、人の思いが託されます。商売は思いを拡大させる。良い思いも悪い思いも。怖さはあるけど、だからこそ僕は、商売というものが基本的には好きです。そして、あらゆる多くの「規制」には反対の立場を取ることが多いです。

この手の「規制」は商売人の足かせとなることがあると考えます。

表現規制の件で都条例が話題になった。そのことで、僕は「都の条例というのは、他にも僕たちの知らないところで、商売人を萎縮させていることがあるんじゃないだろうか?」と考えるようになりました。

調べてみると、やはり他にも商売人を萎縮させる条例というものはあるのだ……という思いが強くなってきました。

今日はそのひとつ、「公共浴場条例」という条例から、公共の福祉と商売について考えたいと思います。

実はこの「公共浴場条例」というのは、各都道府県ごとに存在します。東京都のものならば、「公衆浴場の設置場所の配置及び衛生措置等の基準に関する条例」と言います。

この都条例がはじめに制定されたのは昭和39年のことです。ただし何度か改訂が行われています。そして僕が思っていたよりも、かなり細かな規則がたくさん制定されています。

まずは「なるほど。こういう規則は必要だな」と思ったものを紹介します。
  • 浴槽のお湯の水質の基準
    • 過マンガン酸カリウム消費量は、1リットルにつき二25mg以下とすること。
    • 大腸菌群数は、1ml中に1個以下とすること。
    • レジオネラ属菌は、検出されないこと。
こういうルールというのは必要ですよね。だって、消費者(お客さん)には、たとえこういった水質が保たれていないお湯であったとしても、判別がつきません。

もちろん、ニュースになるような健康被害などを起こせば、確かに風評が貶められ、社会的な制裁はくらうかもしれません。だから、銭湯は風評被害をちゃんと気にするし、そのため銭湯の自主努力に任せれば良い、という考えかたもあるのかもしれません。

けれど、その場合「大きな健康被害」にならなければおそらく見逃されてしまいます。そして、銭湯という複数の利用者を抱える施設の性格上、気づかないうちに本当に多数の被害者を出してしまうおそれがあります。

だからこそ、こうやって、規則を設けることは必要だと思います。保健所とかそういった公的な監督者が必要だと、僕は考えます。

一方で、たとえば以下の規則などは、ほんとうに必要なものなのでしょうか。
  • 下足場には、入浴者の履物を安全に収納し、または保管するための設備を設けること
  • 待合室は適当な広さのものを設けること
  • 善良の風俗を害するおそれのある文書、絵画、写真、物品、広告または装飾設備を置き、掲げ、又は設けないこと。
たとえば、僕は下足場を設けずに、靴は袋に入れて脱衣所のロッカーにいれるという構造にしても良いと思うし、待合室がない銭湯があってもいいと思います。

そうやってスペースを節約することで、ひろい浴場を確保したりすることができるかもしれません。そこは経営者の創意工夫などで、競合との差異化をはかることは決して悪いことではないと思うのです。

また、掲示物についての規制があります。大量の広告を掲載することで入浴料の値下げをはかる銭湯があっても良いと思いますし、萌え系のイラストをあちらこちらに掲示して集客をはかるアキバ系銭湯などがあっても良いと思います。

そのほかにも「これは商売のさまたげになっているんじゃないか?」と思われる規則が、たくさん存在することに気づきます。

もしよかったら、ざっと読んでみてください。決められている内容、結構こまかいです。

なぜこのようにたくさんの規則が存在するのか。

それは、銭湯には「商売」としての側面のほかに、「公共の福祉」という側面も存在するからだと、僕は考えています。みんな昔は、家に風呂のあるひとばかりではなかったでしょうし。

しかし、多くの家に風呂がなかった昭和三十年代ならいざしらず、です。

ひとり暮らし用のアパートにすらほとんどかならずシャワーが設置され、自宅風呂の保有率が上昇した現代。

この現代・東京において、ここまで多くの規則を貸して、「公共の福祉」を「銭湯という商い」に背負わせる必要があるのか、と僕は疑問に思います。

地域や時代にあわせて、もっとゆるく運用ができる条例であったほうがよいのではないかと思うのです。

公共の福祉としての銭湯が必要である。それは確かにそうかもしれません。自宅に風呂を持たない人にとって、銭湯は生活の一部です。

しかし、そうであったとして、そのことが「商売としての銭湯」の運営をさまたげているというのは、いかがなものでしょうか。

僕の自宅の近くにも銭湯が数軒あり、僕はそのなかでも最も近くにある銭湯をよく利用しています。なぜ数軒あるのにもかかわらず、そこしか利用しないのか。

それは、どの銭湯にもさほど大きな差異が存在しないからです。規模の差や多少のデザインの差などはあれ、どこの銭湯もさほどかわることない、おそらく昔からそのままだと思われるような銭湯ばかりです。

銭湯は減少する利用客をまえに、ただ指をくわえてみているだけではありません。条例の中でも様々な創意工夫を凝らして、どうにか差別化を図っているようです。

しかし、条例の中に閉じ込められている銭湯に、やはり思い切った改革は難しいのが現状のようです。

確かに、大江戸温泉物語などをはじめとする「スーパー銭湯」のたぐいは賑わっています。

それは、条例に「最低限これだけは用意せよ」というたぐいのものが多く、施設を広く豊かにつくることにはあまり制限がないからです。

しかし、僕は、よりコンパクト・スマートにしたり、不要なものをはぶくことで生まれるイノベーションもあると考えます。

美容室の例で言えば、時間の短縮やスペースのカット、そのほか必要なサービスに絞りきるといったやり方で生まれた「1000円カット」系の美容室があります。都内ではよく見かけますよね。

銭湯についても、同じことが言えるのではないでしょうか。もしも、公共浴場条例がより緩やかな運用が可能な規定になっていたら、美容室における「1000円カット」のようなイノベーションが生まれるかもしれません。

なお、この「1000円カット」の美容室。「シャンプー台を置くことを義務付ける」といった新たな条例の登場で存続を危ぶまれているのだそうです。

「1000円カット」はコストが勝負なので、給排水設備工事や設置場所の確保といった複数の要因を考えると、この条例は事実上「『1000円カット専門店』つぶし」です。

この件については、いわゆる床屋さんの業界団体が条例の制定をはかったわけですが、なるほどこうやって「条例」は「規制」となり「商売」を妨害するのだと感じます。

もうすぐ都知事選なんかも近付いているわけですが、僕たちはこういう「条例」を制定するひとたちの代表に、いったいどういう人を選んでいくべきなんでしょうね?