2011年1月26日水曜日

「放浪息子への嫌悪感の正体」に対して

放浪息子への嫌悪感の正体 - 斜め上から目線 放浪息子への嫌悪感の正体 - 斜め上から目線

今日の記事は、上記の記事について(↑を先に読んでね)。

先に言っておきます。僕はこの記事のひとがキライではありません。ちゃんと読むと、ただの放浪息子dis記事、ホモフォビアなだけの記事というわけではない。

非コミュなぼっちの悩みとセクマイの悩みを並べて、非コミュぼっちの悩みのほうが深刻なんだという感情が彼の中にあると僕は思う。

セクマイの連中は守られてばかりで、人の優しい正しい言葉に満たされている感じがずるい! 非コミュぼっちのやつらはもっとつらいんだぞ、って思っている――そんなふうに僕は読みました。

リア充嫌悪(リアルフォビア)。良識嫌悪。道徳的な強者嫌悪。

セクマイは道徳的な強者で、はじっこで声もあげられないやつらこそが弱者だ! と、この人は叫んでいる。

たぶん、実際に弱者なんだろう。非コミュぼっちの居場所がいまこの国にないことは僕もよくわかります。

ただ。

けれど、それを分かったうえで。この人の言いかたには、弱者の痛みがつつまれているということを踏まえたうえで。

そんな言論、通させやしねーよ、と僕は思います。

ゲイという存在が、同性愛者という存在が、トランスジェンダーという存在が、セクシャルマイノリティという存在が、この国において、ようやくこのポジションを獲得するために、いったいどれほどのゲイやトランスジェンダーや、多くのマイノリティたちが、ときには自分の人生をなげうってまで、ありとあらゆる場所で、見えない場所で、ときには石を投げられかねない場所で、戦ってきたのか。

僕はいま24歳です。悪いけど、最近の僕はそこそこリア充です。ようやくです。ようやく人生すごくたのしくなってきたところです。

でもこれは、けっして僕の力ではない。多くの「先輩」たちが、僕たち若い世代に、道をつくってきてくれたからです。

かつてのゲイたちが抱えてきた悩みに対して、それぞれが考える方法で、向き合い、言葉を発し、態度で示し、足跡を残してきてくれたおかげです。

そしてまだ、積み残されている課題に立ち向かっている人がいます。パートナーとの問題や、エイジングの問題、教育の問題、居場所の問題。

僕は、自分の生活を良いものにしていかなければということのほうがまだ優先です。だからこそ行動する彼らをすごいと思う。積極的な協力はできなくても、機会があれば感謝を伝えていかなければと思います。

「放浪息子」をノイタミナという「リア充アニメ枠」で放送することができるような現在。そんなこの「現在」をつくるために頑張ってきてくれた人たち、そしていま、このアニメの「現在」から、さらに「未来」の変化を、と奮闘してくれている人たち。感謝しきれない。尊敬している。

そんな簡単に邪魔していい、生やさしい積み重ねの歴史じゃない。

「放浪息子への嫌悪感」。

この国に大勢いるであろう非コミュぼっちでアニメ好きなやつのために「ホモきめーよ」というつぶやきを認めてやるべきだ――という彼の気持ち、僕はわからなくはないのです。

でもこの流れをとめようとするのだけは頼むからやめてほしい。

愛する彼をなくしたときにも、家族として葬式にも出席できない。友人のふりをして焼香をする。そんな国を変えようと、今もまだ、それぞれが考えながら戦略を立てているのを僕は知っています。

だから頼むからこの流れを、邪魔してくれるな。

ーー

追記 僕はけっこう曲解してた部分があって、元記事のamamakoさんは『「ホモきめーよ」とか言ってはならない』というスタンスのひとだ。確かによくよむとそうだ。僕も誤読していた。でも誤読されやすそう。