2011年5月12日木曜日

夢中になれるなら、それが人の愚かさでも。

大学に残された単位は、あと授業ヒトコマ分。


ならば通信で卒業できるということで、実家からオンラインで受講することになり、東京から、実家のある九州に移住しました。彼氏とは遠距離で、スカイプのビデオ通話をつかって連絡とったりしています。

東京に比べて娯楽の少ない地元。地元の友人との連絡をとる気も起きない僕が、地元で何を楽しんでいるかというと、カネのかからない趣味ということで、読書です。近所の市立図書館がわりと充実しているのです。


オルハン パムク
藤原書店
発売日:2009-12-17

「愚かしさ」ゆえにこそ、頭上を巡る星星に思い致さないのだ、「愚かしさ」ゆえにこそ、よく学ばないうちからそれがなんの役に立つのかなどと問うのだ、「愚かしさ」ゆえにこそ、その細部ではなく見かけにとらわれるのだ、「愚かしさ」ゆえにこそ、みな互いに似たり寄ったりなのだ、といった具合である。

これは作中で「師」と呼ばれる人物が、「愚か」という言葉を多く使うようになり、「無知な連中のことで頭が一杯」になってしまうシーンです。

これ、僕にはよくわかるような気がします。

「愚かな連中」と頭の中で描いた人々に、夢中になってしまう、その感覚が。

良く練られた知恵や見識、これぞと信じるに足るものの考えかたを、自分が得たように思えたとき、それにまるで触れようとも知ろうともしない人の「多さ」に、ひどく絶望してしまうのです。そして、解決すべき大問題であるかのように考えてしまう。

でも、僕はさらに思うのです。

けれど、おそらく、そう思う誰もが、同じように誰かから絶望されているんだ。

そしてさらに最近は、こう思うようにもなりました。

それでも、誰かの愚かさに夢中になってしまう自分や他人を嫌だと思うのはやめよう、って。

誰も愚かだと見下さないようになると、どうなるか?

いっけん、素敵なことのように思える。

でも、本当にそうか?

僕には、すべてを肯定していると、すべてがフラットになって、すべてがどうでも「よく」なってしまうような気もするのです。

だから、否定したり肯定したりを繰り返して、時には人を見下して、時には人を尊敬して、喧嘩したり仲良くしたりするのが、どうでも「よくない」、僕にとってはそれくらいが、たぶんちょうどいいバランスなのかもしれません。

それが愚かさであっても、必死に考えることが出来るのなら。夢中になれるのなら。

オルハン・パムクは、結構面白いです。異国情緒が現実逃避にピッタリなんですが、それでいて、時にふと、自分の内面に、ふと向かいあわされる。

僕にとっては、現実と現実逃避のバランスがとれるような読書です。