2011年6月8日水曜日

1991年のプライベート・マイ・ライフ

作家の伏見憲明さんが「プライベート・ゲイ・ライフ」を上梓されてから、20周年だそうです。おめでとうございます。



実は、僕が伏見さんの本を読んだのは、伏見さんご本人にお会いしてから。

失礼ながら、僕はそれまで伏見さんのことをまったく知りませんでした。本を読んだこともなければ、本人を目の前にしてなお、日本のゲイ業界の有名な方だということも、分かっていませんでした。

実際にお会いした伏見さんは話も面白いし知識も豊富で、伏見さんの周囲にいる人達もおなじで。

僕はすぐに「この人達ともっとおしゃべりしたい」と思うようになりました。わりとそのあたりは物怖じしない性格だったのか、友人グループの中にはいっていくのに、そんなに時間はかかりませんでした。東京にいたころは、映画を見に行ったり、温泉合宿をしたり、楽しく遊んでました。

何が言いたいかというと、僕はごく最近の伏見さんのことはそこそこ知っているんですが、十年二十年前の伏見さんの「活動」を実はあんまり知らない……という。

今回、20周年を迎えたという「プライベート・ゲイ・ライフ」という著書もそうで、僕はこれが出版された1991年ごろ、たぶん、5歳でした(あれ、4歳かも?)。

この著書が20周年を迎えるということで、Twitterでは #pg1991 というハッシュタグがこんな質問に対するツイートでにぎわっています。

みなさんは1991年当時どんな「性」の状況を生きていましたか(ノンケでもLGBTでも)。

Twitterをやっているみなさんは是非参加すると良いと思います。

せっかくですので僕も自分の話をします。

僕は、4歳とか5歳だったので、自分の「性」に対しては、ホントになーんの疑問ももっていなかったと思います。

僕が通っていた幼稚園では「モンテッソーリ教育」というのをやっていたらしいんです。なんか、調べてみたら、ずいぶん大層な教育方針です。自由とか自律性とかを重んじるらしいので、もしかしたら僕の性格はこういうところで作られたりしてたのかもしれません。

記憶に残っているのは、芋掘りや裁縫、お遊戯や茶道。

僕は茶道の時間が大好きで、なぜかというとお茶もお茶菓子も大好きだったからです。しかし、みんなはそうではなかったみたい。お茶を教えてくれていた「石橋先生」という女の先生が「ビシバシ先生」と、陰で呼ばれていたことを覚えています。僕は、みんなが嫌うのがわからずにいたのを覚えています。

かなりおぼろげな記憶なので、わからないのですが、今思えば、幼いころの僕は「なんで嫌うのかがわからない」という感情をよく持っていたような気がします。

自分なりに考えてみました。

たぶん、あのころ「ビシバシ先生」は嫌われてたんじゃない。男子はすきな女子をひやかしたりイタズラしたりするというけど、そういうものがそこにはあったんじゃないかと。

あ、それから、お遊戯でピーターパンの劇をやったときのことを覚えています。僕は双子の少年役をやったのですが、主役のピーターパンよりも、僕はその双子の役をやりたくて、その役をもらえて嬉しかったのを覚えています。同じクラスの男の子と、おそろいのパジャマを着て、ステージに立ちました。

よく思い出すと、なんだかそういうところにも、ゲイとして生まれたことの小さなあしあとがみつかるような感じがして、いま自分で驚きながら書いているところです。

みなさんはどんな1991年を、あるいはどんな幼少時代を、送ってましたか?