2011年6月2日木曜日

311以降の日本は多様化が進むと思う

311以降考えていたのですが、たぶん地方の時代が来るんじゃないかなーと、漠然と思っています。

僕は以前から「中央集権→地方分権」を願っていた人なのですが、震災をきっかけに進んでいくかもしれないとは……。

震災復興の掛け声で「日本をひとつに」というスローガンが、ときにけたたましく叫ばれていますよね。けれど正直、ひとつになどならないと思います。ある程度、震災への恐怖感みたいなものを共にしていた最初の一ヶ月や二ヶ月はそんな幻想もあったかもしれません。けれど実際は、今後、きっと日本はどんどん地方レベルで多様化していくだろうと思います。政治に対して願われることは、地方や世代間でどんどんバラバラになっていくだろうなと思います。目に見える形で。

震災前の日本には「地方」と「都市」という漠然とした対立構造があるだけだったなと思います。すっごくメチャな暴論で言うと、たとえば宮崎県と岡山県と福島県と秋田県の間には、そんなに大きな差なんてなかったと思うのです。

でも今は違う。電力不足による経済的な打撃や震災への当事者感、いろいろなところで地方同士の間に格差も変化も生まれています。外国人労働者や観光者がもたらす経済の大きさや、輸出入業がもたらす経済の大きさ。原子力発電の是非や、放射能の汚染問題。それぞれ向き合う問題が地域で違ったりする。

いつまでも被災地を心配しているだけでは立ち行かない地方民も、今後たくさん出てくるはずです。九州、関西、関東、東北。地方によって、今後、国と向かい合う姿勢には違いがあらわれてくるだろうと思います。原発所有県などは特にそうでしょうね。あと、大阪の地方政治もかなり注目です。

都市と地方という大雑把なものさしくらいしかみえなかったこの国の地域差。現在進行形で、それぞれに枝分かれが進んでいるのではないかと思います。

中央の頼りなさはこれに拍車をかけるだろうと思います。

民主党が今後選挙で勝てるとは思えないのですが、たとえ勝てたとしてもそれは「変化へのおそれ」でしかないだろうと僕は思っています。信頼されているわけではない。

自民への逆転を望む人も、自民への逆転だけは望まないという人もかなり多くいます。中央政府の意見が力強く一致し、信頼されて集権政治が進むということは今後ありえないだろうと思います。

みかけ力強く一致したかと思っても、その内実は蓋を開けてみればバラバラ、なんてことを僕は想像します。

意見は多様化するでしょう。そして、そのそれぞれの意見が他の意見へ強い「同調」を求めるがゆえに、いっそう世論は「バラバラに」なっていくはず。そういった声のなかで、必要なだけの求心力を集められるのは、おそらくもっと小さな行政単位じゃないかなと思います。すなわち地方の政治家。

震災にみんなで立ち向かおう、という声はすべての国民を引っ張っていくようでいて、たぶんその幻想は徐々に壊れていっていると思います。意識にも志向にも手法にも姿勢にも「ひとそれぞれ」が生まれて、みながそれぞれの立場で「震災後の『自分の問題』」に向き合い始めるだろうと思います。

その雲行きに立ち向かう人もいれば、そうでないひともおり、ここでも大きな分離がおきるでしょう。「ひとつになりたい」人にとっては、たいへん腹立たしいことだと思うのですが、それぞれが戦うだけだと、僕は思います。

いまはとにかく中央や被災地に、まだ注目が集まり続けています。気持ちがひとつになっていくかのような、そういう作用をマスメディアは持っているという面もあります。

けれど、一方でそこに「別離」を感じ始めてしまう人々や、そのなかに「分裂」を見出し始めてしまう人々も増えてくるはず。それぞれの自分の身近な問題に、それぞれの視線はたぶんじわじわと向いていく。

そして、そのことは「親しい人々」との結束を強くして「小さな単位での同調」を産み、ますます「大きな結束」とはほど遠い方向に向かっていくのではないかと思います。

大きく強く結束する力のある政治を期待したい人も、いまは多いはずです。けれど、その正体はたぶん「自分が問題視している課題」を中央が何とかするべきだという、実はそれぞれバラバラな意見なんじゃないかなあ。