2011年7月28日木曜日

スマートゲイのための生命保険信託

先々週のブログ記事でも触れた、生命保険関連の話題です。

前回の記事↓

ライフネット生命への素朴な疑問 #男色系男子

同性パートナーと人生を歩もうとする場合、生命保険をふくめて、現行法の中では様々なところで障害が立ち現れます。

そうした同性愛者向けの保険商品などは今までなかなか作られてきませんでした。しかし、そうした現況に対して、より同性パートナーにとって生きやすい世の中を目指すため、様々な方が様々なところで少しずつ取り組みを続けています。

ひとりごと

ゲイであることはひとつの個性かもしれないが、ゲイであることはすなわち特別なだれかである「ということでは決してない」と僕は最近つくづく感じるのです。

それは大変残念なことです、少なくとも僕にとっては。

ゲイであることによって生まれる感性はあるかもしれないけれど、その感性に強烈な唯一はないのです。悪魔の実でも食べなければ、僕たちは突然変異になどなれない。もはやそれは諦めるしかありません。

いま、ゲイという性質は、僕のなかで、たんなるひとつの識別子として、成り下がりつつあります。わりともう諦めましたが、意外とこれは残念なことです。ひとときはそれをステータスと感じて、それにすがろうかとも思ったのですが、そこに輝かしき個性はありません。

そうであるとわかれば、レアな識別子を生かしつつも、獲得するべきものを目指すしかありません。そのうえで向かい合う価値がはっきりと見えはじめたことだけが救いです。

必要なことは、苦手なものの訓練と技術の研鑽とモチーフの蓄積。

マニアックすぎることを目指すことはやめて、訓練ののちに、僕が目指したいものは、それとなく好きになれてしまう、それとなく列挙されてしまう、たんなる(けれど、光る)ポピュラリティであるように思う最近です。

2011年7月26日火曜日

どのバッハを聴いたのか――サカナクション新曲『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』

サカナクションはエレクトロとギターロックの融合にくわえて、現代文学的、センチメンタリズム的な音楽表現を試みているバンドだという認識です。

ロックやバンドの方面にはうといのもあって、あまり熱心に追いかけてはいないのですが、いちおう好きです。新曲が出ればチェックするくらいには好きです。

今回の新曲『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』も良いですね。

2011年7月25日月曜日

夢のあとの夢をもっているかどうかは結構大事なこと

夢をもつこと。それはとても素敵なことだと、僕は思います。

夢というのは、僕にとっては生きる希望そのものです。

僕がはじめて自分の夢というものを明確に持ったのは小学校三年生のころ。大学進学と同時に、一度はその夢を捨てたものの、いまはまたその小学三年生のころからの夢を思い出し、目標を立てて日々を過ごしています。

僕が叶えたあるひとつの夢の話をします。

2011年7月23日土曜日

好きなクラシック音楽の話 その3

前回、クラシック音楽についての心理的な壁、「教養」について書きました。

同じ主題が次々と装いを変えていく様子を純粋に楽しめばいいのだ、ということが分かるので、「変奏曲」は初心者でも親しみやすい――というような話でした。

初心者はこのように、変奏曲などの「楽しみかたが分かりやすい」曲から入門するのがいいのじゃないか、と僕は考えました。

クラシックの多くは歌詞を持たないので、いったいどういう意図でつくられた曲なのかが分かりにくい楽曲がかなりあります。

まさにそういうところが「クラシック音楽を聞くには教養が必要なのか……」と思わせる一因だと思うのですが、そういう曲ばかりかというとそうというわけでもありません。

そういうことについて調べていると、クラシック音楽の用語に「絶対音楽」「標題音楽」という二種類の分類があることを知りました。

絶対音楽とは「音楽の音楽による音楽のための音楽」とも言われるそうです。何か文学的に別の何かのテーマなどを表現しようとするのではなく、音楽そのものを表現しようとする音楽のことをそう呼びます。

ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲ハ長調」だとか、

ピアノ三重奏曲第一番ニ短調」だとか、

そういう(何も表現していないような)タイトルの曲の多くは「絶対音楽」であることが多いみたいです。

それに対して、音楽外の何かを表現しようとする楽曲のことを、「標題音楽」と言います。

初心者にとって分かりやすいのは圧倒的にこちらの楽曲なのだと思います。


2011年7月21日木曜日

好きなクラシック音楽の話 その2

クラシック音楽の世界には、間違いなく「教養」が大きなものとしてあると僕は思います。

僕はこの「教養」的なものの重視を、あまり否定しようとは思いません。

なにかの知識を踏まえて音楽を聞くことで生まれる「感動」や「心の動き」。そういうものは、音楽に限らず、おそらくどの種類の芸術にも存在します。

究極的に言えば、僕たちは「日本語の文法」を踏まえて、本や歌詞といった言葉に触れるわけで、むしろ、いっさい何の予備知識もなく「感じる」だけの芸術というのは少ない方のはずです。

ですから、作品性に触れて素晴らしさを喜ぶうえで、なんらかの「知識の踏まえ」を要求するタイプの作品を僕は肯定的に捉えています。知識を踏まえて、理解したときの喜びを、音楽ならずとも、あらゆる作品において、僕たちは理解しているはずだと思います。

しかし、クラシックの長大な歴史、重厚な世界観、奏法の技術や演奏の手法の蓄積のうえで、そこに積み上げられた「知識」は、あまりにも膨大です。

たんに「知識」というには膨大すぎます。「教養」、「学識」、「インテリジェンス」、「専門的知識」と呼ばなければならないほどの「踏まえ」を要求されることを、おそらく嫌いに思う人は多いはずです。

そう、そういうのは、うんざりだ。

もっとカジュアルに、シンプルに、ただ聞いて心地良ければいいではないか……。

2011年7月19日火曜日

天才の答え

僕は小学校三年生のときに、

ある天才的な人生の結論に思い至った。

当時、僕は読書の楽しみに目覚めたばかりだったのだけれど、あるときこう思った。



図書館はただで利用出来る。僕は読書が大好きな人間に生まれることができた。

本を読んでいるときの僕は幸せだ。

そしてここにはきっと一生かかっても読みきれないだけの本がある。

僕はつまり死ぬまで幸せを確保できるということに違いない!



実際は、読書の幸福と関係なく、

僕は人間関係や自分の才能に対して泣いたり怒ったりすることもあったけれど、

こうして考えると、小学校三年生のころの僕は天才だったんだなと思う。


好きなクラシック音楽の話 その1

僕は自慢じゃないが、クラシック音楽のにわかファンです。

クラシックいいなあと思い始めたのは中学生の頃で、それもやっぱりインターネットがきっかけでした。

クラシック音楽には著作権が切れているものも多いから、インターネットで音源を入手して聴くことは、多くの場合たやすいです。

盤だとか演奏家だとかそういう細部にこだわりさえしなければ、クラシックは十分楽しんで聞くことができます。

浅~いファンらしく、最初のころよく好んで聴いていたのはベートーヴェンの月光とかラフマニノフのピアノ協奏曲2番とか、耳になじみやすく眠くならない初心者らしい選曲でした。そういう基本は実を言うと今でもそんなに変わっていません。

ご多分にもれず、僕も「のだめカンタービレ」ブームでいっそうクラシックが好きになったひとりです。少女漫画誌の「Kiss」愛読者でもあった僕はこの漫画にいちはやくハマって、これに登場する楽曲を探しては聴いたりしていました。

そういうにわかクラシックファンにとって「良いコンサート」ってやつの敷居はなんとなく高いものだったりします。

2011年7月14日木曜日

ライフネット生命への素朴な疑問

ライフネット生命という生命保険会社があります。



僕は生命保険に自分で加入手続きをしたことはまだないけれど、いつか加入することはあるかもしれません。

僕は脱原発に自分の意見を投じます

日々、この国では原子力発電について様々なことが語られています。

Twitterのタイムラインや政治や経済関連のブログを読んでいると、これでもかというほど侃々諤々の議論がかわされています。

原発推進派、原発維持派、ゆるやかな脱原発派、過激な脱原発派、そのほか様々な立場にたって、多くのひとが原発について語っている。意見を競わせている。

2011年7月13日水曜日

異世界渡りファンタジー、ゼルダの伝説

僕は「異世界渡り」もののファンタジーが大好きです。

「異世界」ファンタジーではなく、「異世界渡り」もののファンタジー。

ある日突然、見知らぬ異世界に迷いこんでしまったり、連れて行かれてしまったり、あるいは転生してしまったり。目が覚めるとそこは異世界だったとか、トンネルをぬけるとそこはふしぎの国でしたとか。

菅首相の進退とオススメの小説5作品(訂正あり)

6月9日に書いた記事の内容について、大幅な修正と意見の変更をします。

僕は現在、菅首相を支持しています。

6月9日に、記事で菅首相の進退についての意見を書いたころは、菅首相が首相として行っていることが、正直見えていませんでした。

菅首相を人格や政治信条的には支持していたものの、

(→過去に書いた別の記事「菅直人総理誕生。HIV/AIDSと関わりの深いゲイにとっての菅氏の存在。 http://htn.to/9Cicbg」を読めば、僕が菅首相の政治信条などを信用していることがわかります)

報道などで来る返し伝えられる政府の頼りなさをみて、菅首相にはこれほどの事態と戦う「能力」まではないんじゃないだろうか……と思っていたのです。

それで、「この未曾有の危機は本当に大変で、復興が思い通りにゆかないこともあるかもしれないけれど、菅首相の個人の資質の問題じゃなくて、そもそもの構造がよくないんだよ。菅首相がふさわしいかどうかは微妙かもしれないけれど、菅首相の個人の資質を責めても始まらないよ」という感じのニュアンスで文章を書きました。

しかし、どうやら菅首相がやっていることが、最近ようやく分かってきたように思います。

復興利権、原発利権、電力利権、震災以降の混乱のなかで、なおもこういった利権を死守しようとする人々が、復興の足止めになっている。首相は人柱になる覚悟で戦っている。

現在の僕は、菅首相の辞任に反対だし、菅首相のような人がこの未曾有の危機において首相でいてくれてよかった、と思っています。

以下の文章は6月9日に書いたものですが、以上のように菅首相を積極的に支持する意見に変わったということを表明しておきます。


2011年7月9日土曜日

大後悔時代の僕

他の人に言わせればどうなのかは、別問題。

けれど、僕に言わせれば、僕の人生はかなり失敗してきた。それで、後悔しているのです。

僕の資質が、このステップを踏まなければならない程度のものだったということなのかもしれないけれど、もっとうまくやれたのではなかったのかと、後悔しているのです。

世の中についてはいろいろとどうにもならないように出来ているけれど、僕の人生は僕が決めてきたものだから、やっぱり後悔はあるのです。

僕は十歳のころの夢を未だに叶えていない。

なぜこんなことを書き始めたのかというと、ふと、考えてみたからなのです。

十歳の僕が今の自分を見たら、どう思うだろう。幻滅するだろうか。

たぶん、すると思う。

けれど、そこで終わりじゃないような気がする。

十余年で、お前は何を間違えたのか、何をしてこなかったのか、何が足りなかったのか、そう聞いてくるんだろうと、思うのです。そして、どうするんだろう。大事なのはなんなんだろう。

やりなおすということに決まっている。

たぶん、多くの日本人がそうだったはずのように、僕は大震災をきっかけにいろいろなことを考えた。

僕が考えさせられたのは、大震災そのものというよりも、大震災をきっかけに見えてきた「僕が知っている世界」と「僕が知っていない世界」の境目みたいなもののことだった。

それがみえたのは「ひとりのひとが捉えている世界は、この広い世界のたった一部でしかない」という単純な事実を、この大震災を機に、なんども突きつけられたような気がしたからでした。

僕は震災をきっかけに、むしろ、もう一度、つよい希望を持って生きるようになった気がするのです。

多くの死や悲しみをうんだ大災害で、まるで無被害だった僕が、のうのうと希望を獲得するなんて、納得がいかないかもしれないけれど。

でも。

僕は、自分の知っている場所だけが世界なんじゃないって、そう考えるようになったのです。

もちろん僕は多様性という言葉を知っているから、人と自分が違う場所で生きていることを知ってはいたのですが、僕が今回得た考え方は、それとはなにか違う感覚です。

夢を叶えた二十四歳が、平行世界にはいるのかもしれない――そういう、考え。つまり、僕にはそこへたどり着く手段があったはずで、それはいまからでも検証可能だってこと。

自分が選ばなかった世界が、今からでもみつけられるかもしれない、と。

うまくいえないけれど、人の生き方は選択の積み重ねで、それは。

それは、考えなおしたり振り返ったりして、それまでにない「一手」を打つことも可能なように、出来ているんじゃないだろうかと。

年を取ることは、打つ手を失っていくことだと、誰かがいっていたけれど、自分が「打ってこなかった手」がなにか、知ることは多分出来る。

世界は息苦しいほど狭くない、と思う。

「打って出なかった世界をみつけたい」と、最近の僕は、目指しております。

2011年7月7日木曜日

男色系短歌

実は、一時期の僕は短歌にすごくハマっていたのです。

そのころ大学でも短歌の授業をとっていて、授業でも短歌を発表したりしていました。

これは余談なのですが、そのころ同じクラスで僕の短歌を読んでくれていたクラスメイトが実はゲイで、偶然が重なって、今も仲良くしています。僕が一時期勤めていた渋谷のゲイバーにも飲みに来てくれていて。

そのころの僕は、その短歌の発表の場で、自分がゲイであることを言っていませんでしたが、別に隠しているつもりではありませんでした。

その短歌には、わからないかもしれないけれど、ちゃんと、自分の気持を、よんでいました。

実は久しぶりに昔のその短歌を読み返すきっかけがあったので、今日ははずかしながらその一部を、ブログで紹介してみようと思います。

ダイエット

どうやったら痩せれるんだろう? ついでに筋肉もつけたい!

実家に引っ込んだのをきっかけにダイエットをはじめた俺。

なんと、最初の一ヶ月でぐぐーんと10kg弱の減量に成功したので「これはいけるぜ」と思っていたんです。

……が。