2011年7月7日木曜日

男色系短歌

実は、一時期の僕は短歌にすごくハマっていたのです。

そのころ大学でも短歌の授業をとっていて、授業でも短歌を発表したりしていました。

これは余談なのですが、そのころ同じクラスで僕の短歌を読んでくれていたクラスメイトが実はゲイで、偶然が重なって、今も仲良くしています。僕が一時期勤めていた渋谷のゲイバーにも飲みに来てくれていて。

そのころの僕は、その短歌の発表の場で、自分がゲイであることを言っていませんでしたが、別に隠しているつもりではありませんでした。

その短歌には、わからないかもしれないけれど、ちゃんと、自分の気持を、よんでいました。

実は久しぶりに昔のその短歌を読み返すきっかけがあったので、今日ははずかしながらその一部を、ブログで紹介してみようと思います。


君が好きといった少女コミックの中では君が恋をしていた


当時、片思いしていた相手が「すごいキュンキュンくるんだよね!」といって、ある少女漫画をオススメしてくれたんです。

漫画の話は彼とは良くしていて、それが俺はすごく楽しくて。

その漫画も、教えてもらったその日、すぐ読んだんです。ジョージ朝倉とか南Q太とかみたいな、大判サイズのちょっとサブカル系なとある少女漫画です。

そしたら、そこに出てくる男のキャラクターが、彼にすごく重なってしまった。草食系な感じの文化系男子なんだけど。

ていうか、俺は、一瞬でわかったのです。彼は、その男のキャラクターに自分を重ねて読んでるんだってことが。料理にこってることも、ふわふわな髪型にしてることも、ものの考え方も、力の抜けた話し方も。

で、少女漫画だから、そのキャラが恋している相手は女の子なわけだ。

セツナカッタワー。

でもそのあと、彼とはBL漫画の貸し借りとかも良くしてました。

もう今どこでなにしているのかも知らないけど、元気にしてたら逢いたいなあ。


そこ俺も一緒に行きたいって言えなくてまたその話題に戻りたいんだ


ゲイであることを隠していたとき、会話の流れの中で、ふと、つまってしまうことがあった。

「あれっ、これって言ったら変かな?」

「こんなこといったらゲイみたいだって、あやしまれるかも」

そして意識が過剰になって、言えるはずの言いたいことも言えない、そういうときが僕には少なからずありました。

片想いの相手だった彼と共通の友人が遊びにいくという話があって、そのとき、一緒に行きたいの一言がいえれば……この短歌はそういう話。


君からの新着コメント赤文字をただ待つだけの生きものである


過去の自分を黒歴史と否定するのも恥ずかしいと思うけれど、それでもなお恥ずかしさに自分突っ込みいれておきたい、恋焦がれる俺きもい。

このころはmixi全盛期だったので、赤文字といえばアレです。

ちなみに照れ隠し系の短歌もありました。

マジキモいってことは知ってるけど君が欲しいとか俺死ね♡♡♡俺うぜえ♡♡♡

機種依存文字をつかった短歌ですね。読めなかったらごめんなさい。


そのほか、恋愛系短歌も、そうでない短歌もつくっていました。


あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜は並んで歩く

某有名な和歌「あしびきの」の最後のフレーズだけ変えてみました。すごく長い夜に、何がしたいだろう。僕は、並んで歩きたい。

潮風と煙が染みた缶詰めに必要なだけ労働者たち

海の近くの工場で日雇い労働をしていたとき、僕は缶詰の材料のように感じたのでした。

また死んでるアート・アズ・アート商品性に負けたんでしょうと嘲笑う街

アートとビジネスの戦いってすごいなあと思うのが東京です。どっちもすごいんだけど、何がすごいって、いきばのないアートの残念な死に様。

おそらくは彼に二物を間違って与えた間抜けな神様がいた

一方的で愛のない恋だけの片思いをしているときというのは、勝手な幻想を相手に重ねあわせてしまうので、もう彼がよくみえてよくみえて仕方がないものです…。

神様は間違えたりしないのに(ガガ)。

取り替えたバケツの水の透明に絵筆を落とす彼をみている

水彩画をするときのバケツの水によごれた絵筆を洗う、最初の一度、水が色に染まっていくのを観るのは楽しいです。でも、もっと楽しいのは、それを楽しんでいる彼を観ること…という話。

どうやったところで結局埋め尽くすオブセッションオブセッションオブセッションオブセッション

オブセッション=固定観念。ゲイである恋をよんだ短歌でも、言わなければ、異性愛の歌だと思われて読まれるその短歌の教室で、そのあきらめを短歌にしました。

でも、「どうやったところで」というほどには、このときの僕は何もしていなかったな、と今では思うのですけれど。


枡野 浩一
文藝春秋
発売日:2011-06-14