2011年7月25日月曜日

夢のあとの夢をもっているかどうかは結構大事なこと

夢をもつこと。それはとても素敵なことだと、僕は思います。

夢というのは、僕にとっては生きる希望そのものです。

僕がはじめて自分の夢というものを明確に持ったのは小学校三年生のころ。大学進学と同時に、一度はその夢を捨てたものの、いまはまたその小学三年生のころからの夢を思い出し、目標を立てて日々を過ごしています。

僕が叶えたあるひとつの夢の話をします。

それは、大学に入って、自分がゲイであることをカミングアウトしはじめてからのこと。そのときの僕は、ゲイであることを自分の人生の中に組み込んでいく作業に熱中していました。

かつて手に入らないもののように思えていた恋や友情、その躍動感! それを得ることに成功した僕は、それをかつての自分に、ゲイであることに向き合ってこなかった自分に、分け与えたいと思いました。

ゲイであることを人生の喜びに、誰かの幸福に、活かしていきたい。僕はそう考えました。

そしてそれはあえなくあっけなく、実現したのです。

思いのほか、それは小さすぎる夢だったのかもしれないと、今では思います。

それは、ブログやボランティア、ニュースサイトでの記事の執筆、そして日々の恋愛や遊びや仕事といった充実した日常の中で、あっけなく実現していきました。

ゲイであることを人生に組み込む作業。人によっては大変なことなのかもしれません。しかし僕の場合、それはあまりにもあっけなく「実現してしまった」のでした。

僕の好きな作家に、佐藤友哉というひとがいます。

講談社メフィスト賞を受賞し、今も精力的に執筆活動を続けている作家です。ミステリージャンルから文学にいたるまで、悩める人間の鬱屈をとらえた現代的な物語の作り込みを得意とする作家――と表現できるかもしれません。

彼は、小説家になるという夢を「叶えてしまった」――と、その思いを著書のなかで吐露したことがありました。あまりにもあっけなく、若くして叶えてしまったその夢。

今でこそ三島賞作家となり、作家として不動の位置を獲得したのではないかと思われる佐藤氏ですが、デビュー当初、彼は業界からさんざんな評価で迎えられました。

「重版童貞」とも揶揄された彼の生活は、華々しい変化をとげるということもなく、ただ彼の夢であった「作家になる」という夢だけが叶えられ、彼は絶望したようです。夢を叶えた人間は、ただ生きるだけ――。

難しい問題ですよね。

これに対抗するすべを、僕はたったひとつの対症療法のようなものしか知りません。

それは「ふたつ以上の夢をもつ」ということです。

「ある夢を叶えたら、その次に目指す夢がある」という状態を作っておくということです。

夢の大きさ、小ささ、そんなことはあまり関係ないと思います。質よりも数が大事なのではないかというのが僕の考えです。

「作家になるのが夢」ならば「作家になったあとの夢」も胸にいだいておきたい。

「誰かとの恋を成就させるのが夢」ならば「成就させたあとの夢」も。

「仕事のできる人間になるのが夢」ならば「仕事のできる人間になったあとの夢」も。

すくなくとも「二段階以上」になっていることが、だいじ。それは、夢を叶えたときの自分を、想像する力を、もつということなのかもしれないと思う。

夢のあとの夢、もってますか。