2011年7月28日木曜日

ひとりごと

ゲイであることはひとつの個性かもしれないが、ゲイであることはすなわち特別なだれかである「ということでは決してない」と僕は最近つくづく感じるのです。

それは大変残念なことです、少なくとも僕にとっては。

ゲイであることによって生まれる感性はあるかもしれないけれど、その感性に強烈な唯一はないのです。悪魔の実でも食べなければ、僕たちは突然変異になどなれない。もはやそれは諦めるしかありません。

いま、ゲイという性質は、僕のなかで、たんなるひとつの識別子として、成り下がりつつあります。わりともう諦めましたが、意外とこれは残念なことです。ひとときはそれをステータスと感じて、それにすがろうかとも思ったのですが、そこに輝かしき個性はありません。

そうであるとわかれば、レアな識別子を生かしつつも、獲得するべきものを目指すしかありません。そのうえで向かい合う価値がはっきりと見えはじめたことだけが救いです。

必要なことは、苦手なものの訓練と技術の研鑽とモチーフの蓄積。

マニアックすぎることを目指すことはやめて、訓練ののちに、僕が目指したいものは、それとなく好きになれてしまう、それとなく列挙されてしまう、たんなる(けれど、光る)ポピュラリティであるように思う最近です。