2011年9月3日土曜日

難病の余地などない気がしていた

佐賀に帰省して以来、かつての地元友だちにはいっさい連絡をとっていません。

単に連絡先の大半を水没携帯に閉じ込めてしまったというのが理由だったりするのですが、特に連絡をとることもなかろうと思っていたというのが実際の本音。あったところで、何を話したらいいのかも、正直よくわかんないです。

高校生のころの友だちは、大学受験という共通の目標に向かって進む仲間だった。僕の育った高校は、今思えばとてもいい校風の学校だった。そこで学んだことは、大学受験のための知識でしかなかったかもしれないけれど、知識に貴賎があるのかどうか。その当時の僕たちにとって身に余るほどに思えた知識たち、それを自分の身に植えつけていく訓練。その訓練をともにした同級生たちは、あのころ確かに仲間だっただろう、と今では思うのです。

同級生という存在には、どこか他人ごとでないような感覚があります。同じ土、同じ水のなかで――などとまでは言わないにしても、同じような環境で、同じ土地、同じ学級で育てられた別の種が、どこでどのように芽吹くのかということには、関心を持たずにはいられない所があります。

もちろん自分と同級生たちは別の人間だけれど、それでもどこか、違う道を歩んだ自分の鏡写しのような気がしてしまうのでしょうか。かつていくつもの道筋に別れた交差点で、あちらの道とこちらの道、どちらも選べた選択肢、そこで選ばなかった行く末を、同級生という存在が背負っているように見えるのでしょうか。

最近、偶然に、かつての同級生の現在を知ることがありました。

僕の同級生だった彼が現在、背負っているもの。

それは、難病

詳しくは僕も理解していないし、書くこともしようと思いませんが、体内の血液をすべて入れ替えるような治療を行わなければいけないような難病。全額なのかどうかまで細かくは聞きませんでしたが、治療費は国が負担してくれるのだと聞きました。たいへん珍しい症例なので、彼はいま、医療の研究の対象となっているのだそうです。なお、治療法はいまだない、という状況。

僕の友人にはなんらかの病気と向き合っているという人が決して少なくはありません。ブログでも話題にしたことのあるHIV陽性者はもちろん、聴覚に障害のある友人、精神疾患を抱える友人、足や手に不自由のある友人など。

だからというわけではないですが、僕はたぶん、僕の知る誰かが、なにか大きな病気と向き合わなければならなくなったとしても、基本的にはあまり驚かないだろう、と考えていました。心配や心痛を感じることはありますが、ものすごく驚くようなことではない――「そういうもの」はどこか身近にあって、何かの巡り合わせで、出会ってしまうようなものなんだろう、と僕は考えていたのです。

ただ。

この同級生の彼が難病を患ってしまった――そのことは、考えていたよりも衝撃でした。

それは、心配や心痛という気持ちだけではない。それとは、また別の衝撃です。

数いる同級生の中でも、僕にとって彼はすこし気になる存在でした。彼はなんとなく、自分に似た人間のようだと思っていたのです。

僕の通っていた高校は進学校でしたが、総じて「良い子」の集まりがちな学校でした。これは皮肉でもあります。僕のいう「良い子」とは、「自分にとって価値があることかどうかは理解できていなくても、やるべきだとされていることにはとりあえず従う」といったような姿勢のひとを指します。

こういう姿勢はけっこう賢いのだろうと思います。そういう姿勢が世渡りの法則であるかのように思わされる出来事が、世の中にはたくさんあります。けれども、僕にはそういう我慢強さみたいなものがずっとなかったし、たぶんこれからも身につくような気はしません。

同級生の彼(名前がないのは不便だから、Mにしておきます)――Mには、僕と同じように、そういう我慢強さがなかったような気がします。

無駄な努力というものが、理由も納得できずにさせられる我慢というものが、とかく嫌いだったのです。知らないことを覚えることは好きでしたが、黒板の文字をノートに書き取る作業は無意味だとずっと思っていました。効果的な学び方は自分から学び取るもので、教師から決めつけられるものではないと思っていました。

宿題をしてこないことで別に叱られてもいいし、廊下に放り出されても構わないから、読みたい本を読んで、自分の未来をどうするかということに向き合っていればそれでいいと思っていました。学校というモラトリアムは、そのために用意された学び舎のはずだ、僕は生意気にも、そう思っていました。

課題もこなさず、テストもこなさず。そういう態度をとっていた僕とMは、教師に逆らって暴れるヤンキーというわけではありません。むしろもっともおとなしい生徒だった。でも、「価値のないように思える面倒くさいことにいま自分がとりくむ義務なんてない」、僕とMがとっていた態度はそういう態度だったのです。

僕とMとは、すごく親しかったというわけではありません。何度もよく話はしたけれど、僕にとってMは「すでにこの教室とは違う世界で生き始めている人」という印象だったのです。

Mはいわゆるオタクでした。僕も自分ではオタクのひとりだと自認はしているけれど、ただ、僕とMとはおそらくかなり嗜好が違った。ただひとつ、エロゲが好きだったことは覚えているけれど、それ以外のことは覚えていません。僕にとってほとんど興味範囲外の嗜好だったことは確かです。

それでもMと話すことが面白いと思えたのは、彼がすでに――おそらくはインターネットを使って――自分の生きる世界を見つけていたように思えたからでした。

九十九%が大学に進学すると言われた僕らの高校に在籍しながら、Mは専門学校に進むと、わりと早い段階から決めていました。それは、そこに自分の行く末があるのだと、自分でたどり着いた選択肢だったのだと思います。

Mはあのころすでに、あの教室とは別の世界で生き始めていたように、僕には思えていました。

そしていまも、てっきり、MはM自身で見出した世界に生きているのだと、そう思っていたのです。

僕の知っているMは、難病など存在しない世界に生きていたのです。Mの世界に存在しなかったものは、難病だけではない。おそらく、政治も、歴史も、紛争問題も、数学も、商売も、環境問題もなかったんじゃないかと思うのです。そういう、わずらわしく広くからまりあったことに向き合っているのは、Mの外の世界の人間であって、Mはもっと狭く深い場所の担当だったのです。

Mが難病を抱えることになったと聞いて、僕は驚きました。僕にとって、Mの担当する世界はもう決まっていたからです。いきなり難病という役をふられたMを、僕は、すぐには想像できませんでした。

多くの人は、自分がいきなり難病になるだなんて思ってはいないでしょう。それはMだけではなく、僕だけでもなく、多くのみながそうだろうと思うのです。Mは病気に縁がなさそうな人物というわけではありません。むしろ虚弱で、不健康そのものみたいなやつだった。

けれど、なんかそういうことではなくて、なんというか「難病」はいかにも不似合いだと思ってしまうのです。治らない病をかかえて、そこに、Mみたいなやつが、どんな人生を送れるっていうんだ?

自分で言うのもなんだけれど、難病なら僕の人生のほうがよっぽど似合うだろうと思うのです。僕の人生になら、そういうトラブルや予想外の余地がまだたくさんあると、自分で思うから。

僕に見えていたMには、そういう、予想外の余地が、ないようにみえていた。

それは、そうみえていただけのことだったのだと――そういうことなんでしょうね。



さて、超おすすめの本を一冊紹介します。大野更紗さんの難病エッセイ「困ってるひと」。

今年、上半期に読んだ本の中では、いまのところベストです。(いま読んでいる半藤一利「昭和史」もかなりいいので、いい勝負)

難病女子による奮闘記。ビルマ難民を研究していた彼女がある日突然難病に見舞われてから、この冷たい社会をサヴァイブしていくさまが、コミカルかつシリアスにつづられています。

マジオススメです。おもしろいです。

難病というテーマだけでは面白いとは言えません。この作者の文才が加わって、この作品は間違いなく名著です。

大野 更紗
ポプラ社
発売日:2011-06-16