2011年12月27日火曜日

きゃりーぱみゅぱみゅ「きゃりーANAN」のコマーシャルをどう思う?

きゃりーぱみゅぱみゅの新曲「きゃりーANAN」をイメージソングに採用したCMが公開されました。求人情報サービス「an」のテレビCMで、1月7日から全国で放映予定とのことです。



中田ヤスタカは数多くのCM楽曲を手がけてきましたが、その転換点となったのは、Perfumeがエスキモーピノとタイアップした「シークレットシークレット」以降ではなかったかと思います。

メジャーデビューへの階段を駆け上がり、CMタイアップを獲得したPerfumeのヒストリーを描いたMVでは、タイアップ商品であったピノを作品中に堂々と取り込みました。アーティストがその作品の中に商品のプロモーションを取り入れることは、多くの場合、批判を浴びそうなことですが、「シークレットシークレット」のMVは巧みな物語性でそれを成功させました。



以降、Perfumeは商品性を意図的に取り入れた楽曲タイアップをいくつも発表してきました。

「シークレットシークレット」に続いて、エスキモーピノとのタイアップ「NIGHT FLIGHT」ではピノカラーのキャビンアテンダントをPerfumeが演じました。「ナチュラルに恋して」では「NATURAL BEAUTY BASIC」のブランドイメージを表現し、「キリンチューハイ氷結」シリーズでは、「レーザービーム」「微かなカオリ」「GLITTER」と、歌詞がそのまま商品を表現するCMを直球でだしてきました。

KDDIのiidaシリーズではPerfume楽曲のみならず、capsuleの楽曲をCMとタイアップさせました。また、最近ではcapsuleの「WORLD OF FANTASY」が、ドライブミュージックとしての表現とカーナビのブランドイメージを見事に融合させています。

今回の「an」CMはその中田ヤスタカのコマーシャル楽曲における、まさに到達点ともいえるような出来なのではないかと思います。商品ブランド名である「an」を連呼する歌詞という、かなり振り切れたものになっていて、正直なところかなりリスキーなものに仕上がっているのではないかと思うのです。

金儲けや商売といった性質が楽曲の一部であることに、多くの人は反発を覚えるでしょう。そういう反発は健全なものだし、「商売に音楽の魂を売り渡した」といった扇情的な表現は当然出てくるに違いないと思います。

ただ、前回の記事でも紹介したように、オノマトペ的な「日本語の繰り返し語」をアーティストアイデンティティとして表現するといった意味において、「きゃりーANAN」は見事にそれを体現している楽曲です。

楽曲の表現を成し遂げたうえで、あえて商品性を楽曲に取り込んでいるのであり、これらはPerfumeやcapsuleのCM楽曲とも共通することです。商品性を取り込んだうえで楽曲の音楽性を確保することは、そうしないことよりも難しいことのはずで、昨今の中田ヤスタカ楽曲には挑戦心のようなものを感じずにはいられません。

ところで、今回タイアップとなったのは非正規雇用の求人情報サービスである「an」なのですが、これときゃりーぱみゅぱみゅがタイアップすることには、時代の空気を感じます。

きゃりーぱみゅぱみゅのファッションを「『かわいい』のためだけのリスキーなファッション」とアメリカのティーンが評したそうですが、まさに言い得て妙。

周囲との調和や規範から逸脱するきゃりーのファッションは、費用も手間もかかります。社会人であのファッションを出来る人は相当少ないはずで、一般的にはいくつかのリスクをとらなくては選べないファッションです。

自らの好きなもののために社会的な規範や通年にしばられない、というのは、まさにフリーアルバイターのライフスタイルのひとつです。髪を染めることや服装の自由は、anのようなアルバイト情報誌において重要視される項目であり、きゃりーぱみゅぱみゅをイメージソングに採用した「an」側の思惑とも無関係ではないでしょう。

CMの映像でもそれは的確に表現されています。

「レジ店員」「力仕事」「ウエイトレス」といった仕事はスキルの蓄積がなくても、履歴書のキャリアがなくとも可能な、「好きなように自由に」の引換に与えられる低賃金労働といえるでしょう。

それを「かわいい」ポップな音楽とファッションでデコレーションしてしまうのがきゃりーぱみゅぱみゅの役目となっています。ブランド名を連呼して、商品性の内実に触れないつくりになっている点も、かなり意図的なものではないかと思います。

政治的な是非はおいておくとして、戦略的にはある種のリスキーさをも含めて見事なCMです。

ピノのようなアイス菓子、携帯電話といった商品性を取り入れたのは序の口だったというわけです。アイドルにアルコールを飲ませるCMを経由して、今回は非正規雇用の求人情報サービス。

商品性を組み込んでなおアーティストアイデンティティを実現する中田ヤスタカ。

「きゃりーANAN」はフルバージョンでの音源がまだ発表されていないため、楽曲そのものについてはまだなんとも言えません。ただ、今回のタイアップCMは、中田ヤスタカが手がけてきたコマーシャル楽曲における、ひとつの到達点のようなものであるような気がします。

きゃりーぱみゅぱみゅ
ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2012-01-11

2011年12月22日木曜日

東野圭吾氏らは電子書籍化を認めるべきか?

東野圭吾さんたち作家7名がスキャン代行業者にたいして提訴した件について、さっそくインターネット上では意見が飛び交っています。

僕自身はまだ紙の本のほうが便利だと感じており、電子書籍化が進んでいないことにさほどの不服はありません。正直に申し上げて、代行業者が有罪でも無罪でもあまり興味はありません。

なぜなら僕自身は紙の書籍をじっさい便利だと思っているし、代行業者の恩恵とも電子書籍の恩恵とも比較的無縁です。裁断でつくったものだろうがなんだろうが、いまは電子書籍にあまり用がないのです。

ただ、ひとこと言うならば、著作権者が読者の行為に対して不服を申し立てるのは賢い行為だと思えません。そのあたりの意見については、すでに多くの人が述べておられるので割愛します。

電子書籍には多くの人が近い未来のイメージを抱いています。著作権者による権利侵害にかかる提訴は、そういったイメージのなかで「時代の逆行」を印象づける以上のことはありません。

さて、今回の件で僕がもっとも心配なのは、提訴を起こした著者のかたがたのなかに、素晴らしい著者のかたがたがおられることです。

こんな提訴のことくらいで敬意を失っていいような方々だとは、個人的にはとうてい思えません。そしてどうか多くの人にとっても、それほどの敬意の対象であって欲しいとも思っています。

ノワールの傑作「白夜行」を書いた東野圭吾さんや、歴史小説の大作「蒼穹の昴」を書いた浅田次郎さんは、この提訴の件だけで、見損なわれてしまうような才能ではありません。

これはもちろん、今回の提訴について著者の先生方を評価するということではありません。むしろ、さっそく強く反発している在野の論客のみなさんに分があるだろうと思っています。著作権者が多くの読者を敵にまわすような発言、これは問題視されます。批判されるのも致し方ない。

ただ、この機に乗じて、才能ある作家の方々に対して「情報弱者」だの「あさましいポジショントーク」だのという言葉を投げかけて悦に入っている一部の方々はいただけません。ましてやその作家の文学性にまで踏み込んで話をしようなどとは。

東野圭吾さんの最新作「マスカレード・ホテル」は、冒頭、接客業の心意気をもって読者を掴むところから、視点が交互する中盤、そして終盤、一気に読ませる良質のエンタメです。このところの出版ペースも含めて、やはり実力ある素晴らしい作家だと改めて感じました。

そういった評価は今回の提訴の是非程度でかわるものではありませんし、彼らへの敬意は今回の提訴における発言程度で見損なわれるような軽いものではありません。

今回の提訴をされた作家のかたがたは、電子書籍化をほとんど認めていらっしゃらない方々です。

東野圭吾さんたちは、果たして電子書籍化を認めるべきでしょうか?

僕の答えは「NO」。電子書籍化など認めてくださらなくても、高価なハードカバーでも読みたくなるような本を書いてくれるのなら。ただ良い本を書いてくれるのならば、それでよいではないですか。そしてどうか出版社はそれを全力でバックアップしてください。

東野 圭吾
集英社
発売日:2011-09-09

2011年12月20日火曜日

金総書記の死を市民があんなにも大声で泣くのはなぜか

17日午前8時半に死亡したと伝えられている金正日総書記。

大きな声を挙げて泣き叫ぶ北朝鮮の市民の声が各種メディアで報道されていますが、その光景に異様なものを感じた人は多いと思います。

金正日総書記の死に対して、大声をあげて泣く市民。そこには、しみじみと泣く人も、さめざめと泣く人もいません。

http://www.francesoir.fr/より(写真)

なぜこんなにも多くの市民が大声をあげて泣くものなのか。市民のあまりの号泣ぶりに対して、北朝鮮の人民たちに対して、一層の距離感を感じてしまうようになってしまった人も少なくないだろうと思います。

そのとおり、実際、金正日総書記に対して、多くの市民が深い哀悼の意を捧げていることは、報道の通りであろうとは察せられます。

しかし、その前に北朝鮮には「」「哭礼の儀式」と呼ばれる、人がなくなったときの儀礼的習慣があることを多くの人は知っているでしょうか。

これは儒教式葬儀の一種のマナーやしきたりのようなもので、李氏朝鮮の頃から、朝鮮に根付いたものです。「アイゴー、アイゴー」と大声で泣く叫び声は、本能的なものではなく、あえて自発的に大声を出しながら泣くもので、この泣き声は自らの感情から出すものではありません。死者の子どもはあまりの深い悲しみのために自分では泣くことができないので、代わりに周囲の者が大声を上げて泣くのです。

遺族のかわりに「悲しい」「辛い」「寂しい」などの感情を表現しながらおおげさに泣きわめくことを仕事とする「泣き女」という伝統的職業もあるほどです。朝鮮文化において、大声をあげてなくということは、際立って不自然なことではなく、大切な人が死んだ時には当たり前のように人々が行うことのひとつなのです。葬儀の期間中はずっとこれが必要で、喪服を脱ぐときまで続けなくてはならないとされているので、総書記の喪に服すこととなった北朝鮮の市民は相当泣き疲れるのではないかと思います。

みながみな号泣し、ひとりもさめざめと泣いたりしないということの裏には、かような儀礼的文化を持つ側面があるのです。

北朝鮮という国の体制は異様で、確かに日本とは異なる文化を持つ国です。しかし、彼らが一見理解出来ない異様な振る舞いをしているからといって、まるで違う生き物であるかのように自分たちと切り離して考えてしまってはならないと僕は思います。政治がつくりあげた文化に染まり、行動も言動も支配された歴史は、この日本にだってあるのだし、今なおそのような側面がないとは言い切れません。

2011年12月18日日曜日

2011年個人的邦楽セレクション

2011年に発表された国内音楽作品の特に気に入ったものをまとめることにしました。

短くまとめたレビューも書いておきます。

◆アルバム部門

capsule
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
発売日:2011-05-25

capsuleの最新アルバム「WORLD OF FANTASY」。国内エレクトロポップにおいて圧倒的な一人勝ちを続けている中田ヤスタカ。90年代前半的レイブサウンドをリバイバル的に取り入れてきた本作は正直言って一部のファンにはすこぶる評判が悪い。しかし、「初期のほうが良かった」というのはいまやcapsule最新作に投げかけられる常套句となりつつあり、あまりにもナンセンス。何年も前に聞いたような音作りで古臭くて冗長、といった評価も多いけれど、その数年前のダサい音でも臆面も無くやってしまうことこそが中田ヤスタカなのだと言わざるを得ない。普通に考えていたらできないことをやってしまうから中田ヤスタカという男はかっこいいのだ。

galaxias!
NAYUTAWAVE RECORDS
発売日:2011-11-23

柴咲コウ+DECO*27+Teddyloidによる音楽ユニットgalaxias!のデビューアルバム「galaxias!」。はやぶさや宇宙兄弟など今年は「宇宙ブーム」がきていたような気がする。多様性志向の時代のなか、国家間や地域間などで生まれる衝突や問題を回避したい思いが、僕たちの無意識を宇宙へと向かわせているような思いが拭えない。宇宙的なモチーフを取り入れた彼らのデビューアルバムには、二十代のクリエイターふたりの未来や社会に対する直感的な表現と、それを肯定的に発信しようとする柴咲コウの歌声が見事に融合している。

FPM
avex trax
発売日:2011-11-16

FPM待望のオリジナルアルバム「QLASSIX」。カンヌ国際広告賞を受賞した「ユニクロ・カレンダー」に提供した楽曲集はクラシックとダンスミュージックの融合。クラシックと電子音楽の融合というコンセプトそのものは決して目新しいものではない。ただ、耳なじみのある有名曲をシンプルに聞き心地よく衒いのないクラブサウンドに仕立てて訴求するという手法は、ユニクロのシンプルなカジュアル性の広告を見事に表現している点であたらしく、気持ちがいい。

◆ミュージックビデオ部門



世界に向けて原宿×Kawaiiを拡張して発信する象徴・きゃりーぱみゅぱみゅの「PONPONPON」。CoolではなくWeirdなJAPANを体現するこのMVは、日本語ならではのオノマトペを駆使した中毒的なサウンドと、グロテスクさをまとったキュートなファッションがすばらしい作品。村上隆のアイボールを思わせる眼球や、おもちゃのあふれる部屋が示す幼児性と過剰性の表現など、アート方面からも評価が高い。

◆アニメソング部門



魔法少女まどか☆マギカのエンディングテーマ・Kalafina「Magia」。物語の転換点となる第10話では挿入歌として使われた。脚本を読んで書いたらこうなった、という梶浦由記の歌詞は見事に作品の世界観を表現している。日常性を破壊した第三話から登場したダークなエンディングは、明るく表現されたオープニングの「コネクト」との対比が鮮やかで、どちらもとても甲乙付けがたい。個人的な好みでこちらを挙げたけれど、第10話で反転して明らかになる「コネクト」の表現も見事というほかない。

◆ボーカロイド部門



EZFG「サイバーサンダーサイダー」。元はVY1を用いて発表された楽曲だったが、VY1V3の公式デモ楽曲にも選ばれ、上記のYouTubeビデオがアップロードされた。VY1シリーズは人格性がとりわけ低いボーカロイドであり、本作の動画にもキャラクタービジュアルは用いられない。作曲者のEZFG氏もボーカロイド文化にみられる「ボカロP」の肩書きは断っており、棒人間のモチーフもあいまってキャラクター性を徹底的に排除しているかのような印象を受ける。エレクトロとしての完成度も極めて高く、感情のうねりと自己否定に対する応答を描いた歌詞の完成度も素晴らしい。

◆ニコニコインディーズ部門



Chouchou(シュシュ)「eclipse」。Chouchouは「バーチャルワールドという国境のない果ての地で生まれた音楽ユニット」を称するJuliet Heberle(ボーカル)とarabesque(作曲)のユニット。良質なエレクトロニカとしてニコニコインディーズカテゴリの中でも再生数5万超の人気楽曲となっている。極めてニコニコらしくない楽曲のようにも思える。退廃的で低温度な世界観を映し出す光と影のコントラストが印象的なMVは、それ自体ハイレベルなアートフィルムとなっている。ユニットの名前とこの映像美から「リリイ・シュシュのすべて」を想起する人も少なくないだろうと思う。YouTube投稿アカウントは「chouchouholic」となっており、やはりこれも「リリイホリック」を想起させる。

◆ダウンロード配信部門



さよならポニーテール「ナタリー」。期間限定で無料ダウンロード配信楽曲として提供された。音楽ニュースサイト「ナタリー」のために作られた本作は、さよならポニーテールがソーシャルネットから登場した音楽ユニットであることをもっとも象徴的に表す楽曲。絵と音楽で物語の世界観を作る手法と、そのやわらかで優しい空気感は、競争社会の自由ではなく、楽しさと癒しの自由をまとっている。音楽ファンを引きつけてやまない彼女たちの世界には今後も注目したい。

2011年12月16日金曜日

ネット配信時代のガールズエレクトロは魔法少女らしい…?「Weekend Paradise」がファーストアルバム「終末一般論」をリリース

※この記事は10年代の最新ネットカルチャー情報サイト「ねとかる!」に寄稿した記事です。
http://netokaru.com/?p=2254

いま一番気になっているエレクトロポップガールズグループを紹介します。

三日前に初めて音源が公開されたばかりのインディーズグループです。ですので、おそらくこうやって文章で彼女たちの楽曲が紹介されるのは、この記事が初ではないでしょうか。

次の冬コミでファーストアルバム「終末一般論」が発表されるそうですが、買いにいけないのはとても残念です。彼女たちのアルバムを冬コミで購入して僕に届けてくれる友人を大募集します。通販も用意されるようなのでそれにも期待しましょうか…。

さて、そのグループ名とは、「Weekend Paradise」。




ボーカルの鹿乃さん、作曲のshinoさん、作詞&イラストのミヤさんからなるガールズグループ。

shinoさんと鹿乃さんが学校での友人らしく、ミヤさんはインターネットを通じてグループに加入。「メルヘンで、ちょっとブラックな遊園地」をテーマに、作品を発表していくという彼女たち。発表の場所はニコニコ動画の「ニコニコインディーズ(NNI)」カテゴリーを利用していくようです。

現在公開されている「ラストループ」は、アンニュイな鹿乃さんの歌声とハードなエレクトロサウンドが融合した楽曲。女子三人でここまでゴリゴリのエレクトロポップグループは、かなり珍しいのではないでしょうか。

作曲担当のshinoさんの実態は「魔法少女」だそうで、ループを扱った歌詞にはなんとなく「魔法少女まどか☆マギカ」のようなニュアンスを感じてしまいます。また、学校での友人関係からはじまったグループというところには、なんとはなしに、「けいおん!」のような雰囲気も。

Myspaceでの音源発表から火がついた「さよならポニーテール」もまたイラストを作品の一部として積極的に取り入れたグループでした。イラストのような世界観を強く決定するアートディレクションの専門メンバーを配置するのは、ネット配信時代の音楽戦略としては当然のものとして定着していくのだろうと感じます。

鹿乃さんはもともとボカロ系の歌ってみたなどで活躍していた歌い手。相互にn次創作の連鎖を続けるアマチュアクリエイターのループから飛び出し、ニコニコインディーズでオリジナルを配信するという戦い方を選んだ彼女の今後の活動は、どんな「シュウマツ」を迎えるのでしょうか。

ネット配信時代のガールズエレクトロ、初音ミクに背を向けてどこまで戦えるのか。気になります。

Weekend Paradise公式サイト:http://weekendparadise.web.fc2.com/

2011年12月13日火曜日

インターネットが届かない街で

佐賀に帰ってきてから、パソコンとインターネットの専門店で働いています。そこはあまり忙しくない職場で、僕は田舎のインターネットのことをあまり知らないおじいさんおばあさんにもひとりひとり丁寧にパソコンとインターネットを案内する仕事をしています。

僕は基本的にインターネットに救われ、インターネットに育てられた人間です。だからそれを丁寧に販売する仕事には自分の熱もこもります。アルバイトとはいえ、性に合った仕事だと感じながら働いています。

しかし、そんな職場で僕は改めて愕然としています。

2011年12月8日木曜日

きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」はアジア的想像力が産んだ変身魔法である

※この記事は10年代の最新ネットカルチャー情報サイト「ねとかる!」に寄稿した記事です。


日本史において、長い間、北欧に関する情報は不足していたと言われています。そのためか、地理的に遠く、交流も少なかった異国・北欧の地を、日本人は理想型として語り継いできました。

研究者の吉武信彦によれば、それは「日本人にとって、北欧が直接の利害対立もなく、基本的に好ましいイメージでみられてきたため、人を説得する上で良いモデルとして利用しやすかったから」。

欧米列強、近隣アジア、文化的政治的衝突を経たこれらの諸外国にくらべ、北欧はあまりに美化されてきました。北欧神話の地、寒空の下、ゆたかに暮らす北欧の民。福祉の充実した政治的理想モデルとして、いまなお憧憬されるそのイメージは、「かもめ食堂」や森ガールといった近年の流行にも脈々と受け継がれています。

実はこのように、日本という国もまた、遠く離れた北欧諸国に対して、美化・戯画化されたイメージを振りまいてきました。極東の神秘の国として、北欧諸国にはいまだに誇張されたイメージが伝わっています。

そのイメージとはひとことで言うならば「Weird」。日本語で言うならば「」。

kawaii」を全面に押し出し、組み合わせの妙や幼児性、大量消費社会、といったJAPAN的な「Weird」をまとったきゃりーぱみゅぱみゅのデビューが、フィンランドやベルギー、スウェーデンといった北欧諸国を中心に、世界レベルで成功したのは、もはや必然だったとも言えるのではないでしょうか。

さて、きゃりーぱみゅぱみゅの最新シングル「つけまつける」のMVがYouTubeで公開されました。

前回に引き続いて、ヤバい出来の楽曲になっています。素晴らしいです。