2011年12月13日火曜日

インターネットが届かない街で

佐賀に帰ってきてから、パソコンとインターネットの専門店で働いています。そこはあまり忙しくない職場で、僕は田舎のインターネットのことをあまり知らないおじいさんおばあさんにもひとりひとり丁寧にパソコンとインターネットを案内する仕事をしています。

僕は基本的にインターネットに救われ、インターネットに育てられた人間です。だからそれを丁寧に販売する仕事には自分の熱もこもります。アルバイトとはいえ、性に合った仕事だと感じながら働いています。

しかし、そんな職場で僕は改めて愕然としています。

衝撃を受けたのは、僕が小学校のころにはじめてインターネットに触れた時から、まるで時が止まっていたかのように、一部の田舎のインターネット環境はまったく向上していないということでした。

まず、イーモバイルやWiMAXの電波も、光回線も届かないという地域がいまだに多い。そういう地域はどうやってインターネットを使うのかというと、ADSLを利用するしかありません。

ただそういう物理的な事情もさることながら、僕が最も強くあらためて認識させられているのは、田舎に生まれ田舎に育ったお客さんたちの、インターネットというものに対する精神的な距離の遠さです。

娘さんや息子さん、あるいはお孫さんのために、パソコンとインターネット環境を揃えたいというお客さんはよくいらっしゃいます。お客さん自身はパソコンにもインターネットにも縁がないけれど、学校でもパソコンを扱うという子供たちのために買いに来たと。

特にそういうお客さんには、少しくらい奮発してでも、思い切ってスペックの良いものを買って欲しい。たとえばイーモバの電波がよくはいるエリアだけれど、光回線がひけないというエリアの人がいます。そういうときは、ハイスペックのノートに、42Mbpsのイーモバをつけるというのがベストです。

けれど、たかだか月数千円の差のために、ロースペックのノートにADSLをつけようとする人が少なくありません。スペックの選択もさることながら、せっかくのノートなのに自宅回線、それもADSL。あまりにも、もったいない選択です。

決して高いものを売りつけようという気持ちではなく、心からそのお子さんたちのことを思って、そういうお客さんにはハイスペックな製品をお勧めします。たとえそのとき割高に感じても、インターネットを楽しめることが、そのお子さんの未来を変えるかもしれないからと。

小学3年生のころ、母からブラインドタッチを教わりました。好きな曲をラジオで録音し、僕はそれを聞きながら、自分で歌詞を入力し、自分だけの歌詞カードを作っていました。クラスの誰よりも早くローマ字を覚えました。

小学校5年生のころには、はじめての自作の「ホームページ」を作成しました。それらは当時、ウェブ制作の仕事についていた母のおかげです。

中学校のころには、自分で開設したウェブサイトを通じて、たくさんの友達ができました。そのころにサイトでであったひとたちと、僕は一度も実際に出会ったことがありませんが、いまでも交流を続けています。同じ夢を持っている仲間がいて、すでに夢をかなえた人も中にはいます。

もちろんそれだけではありません。インターネットがあったから、僕は自分がゲイであることを率直に受け入れられたのです。そのさきに幸福がありえるということを知ったのです。

戻ってきたこの佐賀という田舎には、かつて僕が育った、インターネットと縁遠い場所がまだまだたくさん残っていました。精神的にも物理的にも、まだ、インターネットのちからが、ひびかない場所がまだこんなにもあることを日々、痛感します。

僕は幸福にも母のおかげで、インターネットに親しみながら育ってくることができました。

けれど、だからこそ、お客さんが連れてくる、田舎育ちの小学生や中学生の子どもたちの、まだインターネットの世界を知らない、まだもっと世界が目の前に広がっていることを知らない、そういう環境の話を聞いていると、僕はなんともいえない感情を揺さぶられます。

ケータイのちいさな画面からもインターネットには辿りつける。けれども、親が寝静まったあとに、エロサイトを検索する背徳感も知ってほしい。ニコニコ動画で活躍する同年代の歌い手や踊り手たちにも刺激されて欲しい。pixivでイラストを描けば、なろうで小説を書けば、それがどこかの誰かにちゃんと届くということも知ってほしい。

先日は、娘さんへのクリスマスのプレゼントにノートパソコンを買っていったお父さんがいました。中古のロースペックマシンの代わりに、僕が勧めたVAIOのピンクは、かわいいデザインだけじゃなくて、Core-i5搭載の十分なスペックのマシンでした。

安くはありません。けれど、値段以上の価値がある買い物だったはずだと、僕は思っています。

インターネットが届かない街がまだまだ日本にはたくさんあって、そこで育つ新しい世代もまたたくさんいるのだと。そのことは、東京にいたころは忘れてしまっていたことでした。