2012年1月14日土曜日

困難な時代に生きている友だちを

世代論や世代間格差、というのは僕にとってずっと関心のあるテーマのひとつです。

僕はいま二十五歳です。遅めの大学卒業を経て、次の四月から福岡で就職をします。大学が東京だったので、もともとは東京での就職を考えていました。しかし震災の後、二十代は家族と過ごす、東京で仕事をするのはもっともっと先のことだ、と決めてUターン。就職活動のスタートは遅れましたが、それでも運の良いことに、風通しもよさそうで雰囲気のいい会社に内定をもらうことができました。

僕はけっこう自分の「やりかた」を決めることが得意です。あまり人の「やりかた」には惑わされません。それは自分がゲイだったからということもあるかもしれません。ちいさなころから同級生と同じようにはなれないことに気づいていました。そして、人と違うことをしたところで、そんなこと意外と平気なんだってことも知っていました。思い切って変なことをして顰蹙を買っても、大丈夫、そんなことは人生の致命傷ではない。なんとでもなるから、思い切って決めてしまう。

それは僕にとってひとつの武器です。

自分で考えて、自分で決める――その結果、自分に返ってくることは、案外受け止められるということをちゃんと知っている。ちゃんと自分で考えないで、なんとなく常識のようなものの中で決めてしまったときほど、その結果って受け止めるのがしんどい。

なぜか。だって自分が考えて決めたことなら、失敗したときも、それの取り戻し方だってわかる。でも、自分が考えて決めたわけじゃない決断は、簡単に袋小路にハマる。

でも、僕はちゃんと分かっています。そういうことって、僕が比較的無謀で、比較的変わり者だから、できているんだってことを。みんなもっと普通は悩んでる。みんなもっと普通はしんどい。

僕だって悩むこともしんどいこともないわけじゃありません。むしろそういうことは多いのです。でも、僕は多分、抜け出し方を見つける要領の良さみたいなのがあるのです。

愚痴をこぼしたり、悩みをさらけだして語ったり、ブログに書いて思考をまとめたり、本を読んだり、目標を見つけたり。楽しく生きる方向に切り替えるのが得意なのです。

でもそういうこと、苦手な人ってたくさんいます。たぶん、若い人の中にも、すごくたくさんいます。抜け出し方がわからなくて、時代の空気のなかで、迷いを迷ったままに、悩みを悩んだままにしてしまうひと。

僕の同級生=かつての友だち=かつて僕が片想いしていた友だちは、そういうタイプだったみたいです。

先日、彼がお金に困って罪を犯してしまうところまでいってしまっていたことを知りました。事件の内容は話せませんけれど、はためには滑稽な事件でした。僕はその新聞記事を読んで、泣きました。2ちゃんねるで事件の滑稽さを笑うレスがついているのをみました。でも、彼を知っていた僕にとっては、その滑稽さもふくめて、悲しかったのです。この時代は彼にとってきびしすぎました。困難でした。

そんな僕が、困難な時代を生きる君たちへ、という内田樹さんの文章を読みました。

切ないです。とても。なんといっていいかわからないほど。

内田樹さんの文章を僕はよく読んでいます。人生についてのたくさんの示唆を与えてもらっています。でも、内田さんのような人の声が聞こえるのは、要領がよくて、自分の生き方を考えることが得意な、そういう人だと思うのです。

たぶん、彼には聞いてもらえない。届かないし、自暴自棄になってしまったら、諦めてしまったら、だめなんです。聞こえないんです。

この国の若年者は、確かに、損をしているのかもしれません。裕福なおじいちゃんやおばあちゃんに出会うたびに、それを感じます。そのためか、インターネットでは、世代間格差について、いろんなところで論じられています。それに対する処方箋のような文章も、たくさん出まわっています。

そういう文章を読むたび、僕は学ばされてきたような気がするし、いろんなことを考えたような気がします。でも、どれを読んでも、今までずっとピンときませんでした。

この困難な時代を生き抜くにはこう考えたらいいのだと、示唆を与えられるような文章を読ませてもらうたびに、かえって自分は困難でなく、むしろ恵まれているような気がするのです。でも、それでも、解決しないような感じが拭えないのです。この時代が生きにくいことを確認するたびに、僕ら世代の不遇に、怒りのようなものを感じてきました。

読んだ人だけが、考えた人だけが、ぬくぬくと楽しく生きられたって、ダメなんです。

中学生のころ、あんなに一緒に楽しく遊んだ友だちが、つらい思いをして生きていかなければいけなかったことを想像すると、僕は胸が張り裂けそうな思いです。

僕の生まれ育った田舎には、格差があります。経済格差も、教育格差も。

あの中学校で落ちこぼれた友だちも、あの高校を中退せざるをえなかった、あのころの友だちも、今ちゃんと前を向いて、楽しくて、未来にも希望を持って、ごはんをちゃんと食べられているのか。

上から目線みたいで、人の心配なんてばかみたいかもしれません。それも今仲良くしている友だちの話じゃない。かつて仲が良かった、今は疎遠な、そういう友だちの話です。

でも、ちゃんと元気でやっていて欲しいのです。縁が遠くなっても、それでも、再会したらすぐにあの頃に戻れるように。

それはおじいちゃんおばあちゃんの世代だって同じようなことを思うかもしれないけれど、でも、今、若年者が立たされている立場を考えたとき、僕が考えるのはそういうことなのです。

この国の若年者には、絶望を生むほどの情報の格差が、自暴自棄を生むほどの思考の格差が、同年代の友だちとのあいだにある、という切なさなのです。