2012年1月28日土曜日

今信じられていることを信じるのをやめよう

1997年、3つの大きな金融機関が相次いで倒産しました。ひとつめは三洋証券、その翌週には北海道拓殖銀行、さらに一週間後の振替休日に、山一證券が廃業申請を出したといいます。

倒産して最も驚いた企業はどこか――ネットユーザーに対して行われた意識調査で最も多かったのは「山一證券」だそうです。そのころ僕はまだ11歳で、倒産したことにどれほど大人が驚いていたのか、そんなことも分かっていない年頃でした。

山一證券。四大証券の一角であり、就職先としても人気の企業。将来を約束された超エリートの集まる会社が一夜にして破綻したことに、多くの国民が言葉を失ったのはそう、15年前のことです。

銀行や大企業、信じられていたはずのものが、一瞬で崩れ落ちる。日本国民がそれを目の当たりにした出来事がそう、15年前。

2012年、驚き続けていますか。

その後、、人気企業の上位だったJAL、破綻しました。安定性抜群のはずの地方自治体、夕張市も財政破綻しました。長年政治を牛耳ってきた自由民主党も、2度目の野党転落となる大敗を喫しました。

団体や組織の崩壊だけじゃありません。マイカーやマイホームが当たり前だった時代は終わりました。専業主婦が世の常識だった時代も、もう終わっています。

日本が42年間まもり通してきた、国内総生産世界第2位の座は中国に譲り渡されました。「ものづくり世界一」の神話をまだ信じ続けている人は多くないでしょう。以前ではありえなかった「ガラパゴス」言説のなかで、かつて粗悪さばかりが気になったはずの韓国や台湾製の電子製品が売れています。

いま信じられていることを無条件に信じることをやめよう、というのが昨今の僕のテーマです。

たとえば携帯電話。いつまでもあの3社が覇権を握るものでしょうか。そもそも、大きな携帯電話会社に誰もが契約する時代が続くんでしょうか。ドコモ、潰れませんか?

たとえば大都市と地域の関係。いつまでも東京に一極集中が続くでしょうか。そもそも東京の優位性は時代の変化の中でもさほどに有効なものでしょうか。大阪は、東北は、九州は、今後どうなるのでしょうか。

たとえばオタク文化。日本のオタク文化はいつまでも世界に憧れられる存在でしょうか。漫画もポップカルチャーも、無邪気に日本の素晴らしさを信じ続けてもいいものでしょうか。任天堂がGREEと競うなんて未来を、スーパーマリオで遊んだあの日、僕は無論想像だにしませんでした。

たとえばテレビや芸能界。若者のテレビ離れが叫ばれて久しい昨今、テレビがなくなる日をリアルに想像したことはありますか。「芸能界」という文化を、未来永劫のものだと信じていますか。

たとえばインターネット。匿名でみんなとやりとりをして、ネットの中に「話題」が生まれ、ツイッターやフェイスブックでみんながつながる時代は、二十年後にもあるでしょうか。

たとえばビジネススキル。会計や英語やプログラミングは今最ももてはやされるスキルですが、それはいつまでも日本人の仕事に役立つでしょうか。そして稀有な技術でしょうか。

たとえば仕事やお金。みんなが何かに雇われて働き、日本円をかせぐために働くのは、永遠の慣習ですか。ほんとうに必要なものを手に入れるために生きることは、働くことですか。

いま信じられていることを信じることをやめて、もっと自分がこねあげた根拠と直感と屁理屈で、人に信じてもらえない決断をするというのはとても魅力的なことのような気がしています。

常識なことも、イマ風なことも、疑ってみたい。ノマドとか、ソーシャルとか、モバイルとかも。

もっとみんなが選ばない、ダサいもの。古いもの。嫌われているもの。そういうものをひっくるめて、真剣に自分の生きたい人生を検討してみたら、そこに見えてくる自分の人生がある気がするのです。大事な「好き」をまっとうできる気がするのです。

本当に残るものを見つけられる、希望が見える予感がするのです。