2013年4月17日水曜日

坂上秋成「惜日のアリス」は僕の精神を削りとるような小説でした

坂上秋成「惜日のアリス」について語ろうと思うのですが、まず僕は自分の境遇とこの小説との関係について語らなければなりません。

というかそれ抜きにして、僕はこの小説と向き合えません。

読み終わったそばから、心臓がまるでゼリーを食べるかのようにスプーンで次々と軽々と削り取られているような気分がします。これは良い小説を読んだ時の高揚なのか、それともひどく精神的なダメージを受けた時の消耗なのか。たぶんどちらもです。

この小説には僕の見たことのある景色や、感じたことのある出来事がいくつも登場しました。

ブログでははじめて告白しますが、僕は小説を書きます。

この作品の中には小説を書く語り部・アキラ(女性)と、詩を書く男・算法寺が登場します。アキラと算法寺は交際しますが、金や仕事という現実的な理由でふたりは感性や関係性を摩耗し、別れることとなります。算法寺は芸術を追うためにと、アキラのもとを離れます。

僕は311の震災が起きた直後、当時付き合っていた彼氏と別れ、東京を離れました。そのことを思い出します。僕は小説を書くためにあの居場所を離れたのか。それは違うけれど、僕が東京で精神を削られることに当時それ以上耐えられなかったのだということは間違いありません。そして東京を離れ、親しい人々のもとを離れ、僕は小説を片田舎で書いています。

アキラは算法寺とわかれた後、新宿二丁目に居場所を見つけます。ゲイ、レズビアン、女装、トランスジェンダー、ノンケ、バイセクシュアル、そのほか。バラバラな指向を持つ人々が集う新宿二丁目のミックスバー「アテンション」に、彼女は居場所を見つけるのです。

僕にとってかつて(そして、できれば今でもそこに戻れるのだと信じたい)居場所であったのも、そうしたミックスバーでした。店の名前はエフメゾといいます。かつて毎週水曜日にそこに通っていた僕にとっては、この作品の中に出てくるすべての描写のリアリティが、あまりにリアルすぎて、思い出をえぐりとるかのようでした。会話も、風景も、僕はどこか全部知っているようでした。

いま、エフメゾはありません。今では別のバーに名前を変えています。違う名前で、違う建物に店を構えた別の店。東京を離れた僕はいま九州に住んでいるので、僕はその別の名前のバーには行ったことがありません。新宿二丁目から離れてもう二年が経ちます。

別の名前になったそのバーには、僕の知っている空気と僕の知らない空気がどれくらいの割合で混じり合っているのかわかりません。知らない顔も知っている顔もそこにあるだろうと思います。でもこの小説を読んで思うのは、自分が算法寺になってしまったのではないかという恐怖です。

算法寺は十五年を経て、語り部の女性・アキラに再会します。しかしアキラには同性の恋人・ナルナとその娘・莉々花がいます。そしてアキラにはアテンションという居場所もあります。その聖域には、勝手な都合でアキラのもとを離れ、勝手な都合で帰ってきた算法寺の居場所はありません。

僕が東京を離れた時も、それはそれは随分勝手な都合でした。僕のことをとても大切にしてくれていた友人たちに、僕は唐突に別れを切り出し、当時付き合っていた彼氏に対してはわりとひどい別れ方をしたと思います。

算法寺と違うのは、当時の恋人とよりを戻したいとは思っていないところぐらいかもしれません。でも、友人には、いまでも友情を信じさせて欲しいと思っています。

ただ、当時、東京で精神と財布を削りながら仕事をしていくことは僕にはできなくて、いま僕は小説を書くことにしがみついた実家ぐらしをしています。いつか東京に戻るつもりで。

このことは初告白だけど、たぶん幾人かにはなんとなく察されていることです。

いつ戻ってくるのかを聞かれて、今の僕は答えられずにいて、そんな僕はいつまで東京の愛する人達にとって友達でいつづけられるだろう。もうとっくに僕は算法寺なのかもしれません。

僕のゲイの友人はそういえば塾の講師でした。アキラは塾の講師をしている。そんな細かい共通項までが僕の心に引っかかる。引っかかるところの多い小説だった。いや、というよりも、僕の中に恐ろしいほどの速度で入り込んでくるような小説でした。

極めつけは作者の坂上秋成さんが僕と同じ早稲田大学の卒業生で、しかも、たった二歳差だということ。彼が歳上で本当に良かった。ちっぽけでいじましい自我だとは思うけれど、歳下にこれを書かれたくはなかった。

僕にはこういうものは書けなかった。この作品の中に出てくるすべてのことを僕は知っていたような気がします。でも知っていても書けないのです。僕がたぶん算法寺だからなのだと思います。

ええと、自分語りばかりですみません。結局作品のことについては、あまり語れていません。

前置きに「それ抜きにして向き合えない」とか書きましたけれど、自分語りをしてもしても、どうやら向きあえてません。

この作品は本当は何についての小説だったんだろう。

知りたい。

ような。

知りたくないような。

ああ、心臓、ぜんぶこの小説に食べられてしまいそうです。

この作品はそれほど僕にとっては恐ろしい魔法のような、悪夢のような、小説でした。

読むのは面白かったようなしんどかったような、とにかく、ひどく落ち着かない気持ちでした。この小説は僕のために書かれたのではないかとすら思いました。

でもたぶん全然違いますよね。

僕がこうしたかたちで心をえぐられたのはたぶん変な偶然なんでしょう。坂上秋成さんが主宰するミニコミ誌の名前が「BLACK PAST」なのもひどい偶然なんでしょう。

この小説にはきっと違うテーマがあります。きっと世に出ている「惜日のアリス」には、僕が読んだのとは、違うことが書かれているんじゃないかと思います。たぶん。

僕が手にとった一冊だけ違う物語だったんじゃないでしょうか。

ふう。ブログに書いたことでようやくちょっと消化できたかもしれません。さて、誰かこの作品のもっと平均的な読み方を教えて下さい…。